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    <title>第35回：環境首都・ミナマタ出身であることを誇りにしたい</title>
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    <published>2012-04-29T13:39:20Z</published>
    <updated>2012-04-29T13:58:23Z</updated>

    <summary>水俣病の傷、「もやい直し」で地域の再生モデルに</summary>
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        <![CDATA[<p>「ミナマタ」と聞いて思い浮かべるイメージは......？　公害による環境汚染、水俣病で苦しむ患者たち、長年の差別と偏見、それとも......？</p>

<p>山間地が市域の75％、源流から河口まで一つの水系で、山も森も川も海もある、日本の縮図のような熊本県水俣市。豊かな自然と農林水産業、そして工業も盛んな水俣市は、人口2万7500人、高齢化率約30%で、近代化による発展と衰退を経験している。</p>

<p>かつて公害で苦しんだ水俣市が、いま再び「ミナマタ」として注目を集めている。水俣病の負の歴史を乗り越え、プラスの資産に転じていく。日本で最も環境に配慮したまちとして、昨年日本初の「環境首都」に選ばれた。</p>

<p><br />
■水俣は、日本の近代を映し出す鏡である。</p>

<p>熊本県は最南部・鹿児島県との県境に位置する水俣市は、「ミナマタ」として世界に知られる。水俣病が公式発表されたのが1956年5月1日。認定患者数は2271人、うち死亡者が1746人（2011年7月末現在）、被害者は5万人ともそれ以上とも言われている。</p>

<p>水俣市は、日本の近代化における典型的な栄枯盛衰をたどってきた。水俣村時代の1908（明治41）年に日本窒素肥料株式会社（通称チッソ：現JNC）を誘致し、以来、チッソの企業城下町として栄えてきた。1955年には、水俣市の市税のうち50％をチッソが支え、水俣市の第2次産業従事者の8割をチッソの社員が占めていた。</p>

<p>チッソはアセトアルデヒド製造のために使っていた有機メチル水銀を含んだ排水を海にそのまま垂れ流していた。1950年代から、水俣市の沿岸部で「狂い死に」する猫が発見されるようになった。徐々に、水俣湾を漁場に漁で生計を立てていた漁民や、魚介類を食べてきたその家族、近隣住民たちが、発病した。手足がしびれ、視野が狭くなり、後に視力を失い、倦怠感を覚え疲れやすくなり、手足が曲がり、突如痙攣を引き起こしてのたうち回り、犬のような奇声を発して、酷い苦痛のうちに亡くなっていく。水俣病の公式確認は1956年5月1日だが、原因究明が何年も進まず、その間もチッソは有機水銀を海に流し続け、被害は不知火海沿岸地域の広範囲に拡大していった。</p>

<p>その間、患者や、地域が受けた打撃は計り知れない。豊穣の海が破壊された。水俣病患者は決して治ることのない病気で苦しみ続ける。患者への差別、偏見。認定患者とそうでない被害者間での補償額の差異が不公平感や妬みを生み、水俣地域の農作物が売れないといった風評被害や、水俣市出身者が自分の出自を名乗ることができない......等々。「水俣病はいまだに被害の全容が分かっていない。60年経ってもなお終わっていない」と、水俣市福祉環境部環境モデル都市推進課の大崎伸也さんは話す。</p>

<p><br />
国が公式に「水俣病の原因はチッソの工場排水に含まれるメチル水銀である」と発表し、公害病と認め補償を開始したのは1968年になってからだ。1990年に水俣湾のヘドロの掻き出しと埋め立てが終わり、1996年には水俣湾の有機水銀の数値が4年連続で基準値を下回ったことから、「安全宣言」が出され、漁場の柵が取り払われた。少しずつ、漁が始まっていった。何十年にもわたり、人も、人間関係も、ズタズタに傷つき、引き裂かれたコミュニティを、もう一度結び直そうーー。船と船を結ぶ「もやい」を、もういちど結び直すという意味を込めて、「もやい直し」が始まった。「対話と恊働による町づくり」を掲げ、市民挙げての町づくりの新しい旗印になったのが「環境」だ。</p>

<p>水俣病を経験してきた、その歴史をプラスに転じて「環境と循環の町づくり」をしていこう―--。水俣市は1992年に「環境モデル都市宣言」をおこなった。</p>

<p><br />
■水、ごみ、食べ物に気をつける。</p>

<p>市民が主体となって環境の町づくりをしていくには、具体的かつ行動に移しやすいキャッチフレーズが必要だ。水俣病は、「ゴミ」（有機水銀）を「水」（海）に流し、魚を通して「食」べたことで起こった。だから、水俣市では「水とごみと食べ物に気をつける」、すなわちそれは生命（いのち）を大切にすることである、を合い言葉に、数々の施策を打ち出していった。</p>

<p><br />
水俣市はたいへん水の豊富な地域である。水俣市の絵地図に、自分の地域で飲み使っている水がどこから来て、どこに行くのかを調べる「水のゆくえを知る」プログラムをつくり、市民や子ども向けに啓発をおこなった。排水の質に気をつけるべく合成洗剤からせっけんへの切り替えを推奨した。</p>

<p>また、「安全・安心」を打ち出す有機農業・環境配慮型農業を積極的に推進していった。こうした農産物や伝統的なものづくりに取り組む人たちを、環境マイスターとして認定する制度や、地域の環境を住民自らの手で守っていくための協定づくり「地区環境協定」、そして「村丸ごと生活博物館」の認定で、環境配慮のライフスタイルを観光資源として内外に発信する動きが生まれた。</p>

<p><br />
特筆すべきはゴミの高度分別で、「捨てればゴミ、分ければ資源」と呼びかけ、家庭ゴミの24種類の高度分別に取り組んだ。燃えるゴミと生ゴミは週2回、それ以外は月に1回地域のゴミステーションで分別を市民自らがおこなう。この作業は老若男女の世代を超えたコミュニケーションづくりにも一躍買っている。資源の売却益は年間1000万円を超え、そのお金は全額地域に還元するのも水俣市の特徴だ。</p>

<p>水俣市では、水源にあたる山間地域に産業廃棄物の最終処分場の計画が立ち上がった2003年から、2008年に事業者が撤退を決定するまで、市民が一丸となって反対運動を展開した。「産廃の最終処理場を反対するからには、自分たちのゴミにも責任を持つ。市の焼却場が2026年を目処に寿命になると言われているが、それまでにゴミを出さない仕組みをつくってゆく」と大崎さん。それが2009年11月の「ゼロ・ウェイストのまちづくり水俣宣言」につながり、2026年までに、焼却や埋め立てによるゴミ処理に頼らないまちづくりを模索していく。かなり難度の高い目標だが、環境ISO14001を自治体として取得し、その手法を学校や店、事業所、家庭に落とし込み、PDCAサイクルで進捗を確認していく手法を地域全体で共有しているため、目標遂行型での実践が望める。</p>

<p><br />
水俣湾の埋め立て地には、リサイクル・リユース関連の環境ビジネスに取り組む企業を誘致し、2001年に「エコタウン」として始動した。その中心的な役割を担っているのがリユースびんを扱う田中商店専務の田中利和さんだ。</p>

<p>リユースびんの事業は、焼酎などの一升びんやビールびん、生協で使うジャムや調味料のびんなどを、一度きりの使用で破砕してリサイクルに回すのではなく、繰り返し洗って使うことでゴミを減らしCO2も削減する。田中さん自身はものすごいアイデアマンで、「毎月一つはビジネスが増えていく」と、地域を巻き込んで次々に新しい事業を展開していく。工場の中にリユースびんを加工し生活雑貨やガラス工芸品をつくる「リグラス工房」を設けたり、南九州の焼酎メーカーと共同で使う900ml統一リユースびんの事業を開始、障がい者の雇用や工場見学のエコツアー受け入れ、地元の工業高校に依頼して開発した洗びん機の導入などをこれまでにおこなってきた。「楽しくないと、人はついてこない。環境で水俣市全体を元気にしたいきたい」と話す田中さんは、水俣の事業者代表として、市民を引っ張っていくリーダー格でもある。</p>

<p><br />
2008年には政府が提唱した環境モデル都市に選ばれ、2011年には日本初となる「日本の環境首都」になった水俣市。「水俣市民の環境意識はかなり高い。行政の役割は、市民の皆さんのアイデアやこうしたいというまちづくりのビジョンを形にしていくこと」と大崎さんは言う。</p>

<p><br />
■ 100%再生可能エネルギーの水俣市を目指す。</p>

<p>「水俣市で使うエネルギーは、100％再生可能エネルギーでまかなうビジョンを掲げている」</p>

<p>こう話すのは、水俣市産業建設部総合経済対策課の草野徹也さん。水俣市は水量が豊富で、またJNCが自家発電用に建造した流下式の水力発電で、売電量にして市内のエネルギーの3割をまかなうことができるほどの再生可能資源量があるという。</p>

<p>今年度は埋め立て地のエコタウンを含めた産業団地全体で、「ゼロカーボン産業団地プロジェクト」に取り組む。水俣湾の残さで埋め立てた地域は大規模構造物の建設が難しく、それは逆にメガソーラーを設置の適地とも言える。市民出資などでPPS（特定規模電気事業者）を立ち上げ、豊富な水量を生かした小水力発電、メガソーラー、バイオマス発電や熱供給を組み合わせて、まずは産業団地からのゼロカーボンを目指していくという。</p>

<p>「エコタウンには、リユースびんや家電製品のリサイクル業者、アスファルト再生などの静脈産業がある。ここから新しいものづくりを提案し、付加価値を高めて新たな"水俣ブランド"を展開していきたい」と、草野さんは展望を語る。</p>

<p><br />
丸島漁港では、すでに地域向けスマートグリッド実証実験が始まっている。国内では初となるつるべ式の波力発電（定格1kW）の耐久試験と、太陽光発電（定格3.36kW）、エネファーム（定格0.75kWの家庭用燃料電池）、蓄電池（容量12kWh）を組み合わせ、電力供給ネットワークを構築している。エネファームの副産物である温水は、漁師のシャワーとして活用している。現在はサーバー設置場所の照明に電気を利用しているが、今後は海藻の養殖用水槽のポンプの電源に利用する。</p>

<p>スマートグリッドの実証実験を担当する建設技術研究所の種浦圭輔さんは、「海藻の養殖のエネルギー源として、太陽光や波力などの再生可能エネルギーを利用すれば、環境付加価値が高まり、第6次産業として水俣ブランドを売り出すことができる。漁協の人たちは常に未来に向けて希望を掲げている」と、水俣の人の先見性や風土に惚れ込んでいる様子だ。</p>

<p>水俣市福祉環境部環境モデル都市推進課の岩下一弘さんは、「先端の研究者や技術者に地域を実証フィールドとして提供し、ネットワークとつながりながら、いかに新しい価値を社会に提案できるか。ここに、今後の地方の生き残りがかかっているかもしれない」と話す。</p>

<p><br />
 "低炭素"を切り口に、技術のみに走っていく日本の風潮に警鐘を鳴らすのは、水俣病資料館館長の坂本直充さん。「エネルギーを足下からどうつくっていくのか。水俣病の経験がある水俣市だからこそ、命の価値に重きをおいた生活文化としての展開と、価値の創造が可能になるだろう」と、語る。</p>

<p><br />
「私は、水俣が大好きです。そして、自分の子どもたちに、自分の生まれた土地を誇りに思ってほしい」</p>

<p>3人のお子さんがいる大崎さんの願い。かつて汚染され苦しんだ「ミナマタ」は、環境首都として新しい輝きを放ち、世界の「ミナマタ」として再び脚光を浴びている。ふるさと「ミナマタ」は、未来の子どもたちの誇りになるに違いない。</p>

<p><br />
写真・文／キタハラマドカ（ジアスニュースライター／<a href="http://morinooto.jp/" target="_blank"><u>森ノオト</u></a>編集長）</p>]]>
        
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    <title>第34回：自然エネルギーは電気に変えず直接使う</title>
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    <published>2012-04-29T13:27:04Z</published>
    <updated>2012-04-29T13:49:35Z</updated>

    <summary>「エクセルギーハウス」理論で夏涼しく冬温かく。小金井市の雨デモ風デモハウス</summary>
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        <![CDATA[<p>夏、古くからある切通しを通ると、一瞬3℃くらい体感温度が下がることがある。切通しの石垣土塁が冷えていて、わたしたちの体から汗が蒸散する。石垣は真夏なのに冷えて濡れている。熱が移動していくので、とてもひんやりと感じる。</p>

<p>一方、エアコンでの冷房は、熱交換で冷えた空気を送ることで、部屋を涼しくする。気流が直接カラダに当たるので、カラダが冷え、乾燥することもある。</p>

<p>東京は小金井市にある「雨デモ風デモハウス」では、気流による冷暖房ではなく、天井・床・壁の「面」の温度を調整し、カラダからの熱の移動を利用して快適な室内空気環境をつくる。周囲面の温度調整に使うのは、雨水と、太陽の熱だ。自然エネルギーを電気に変えて使うのではなく、自然エネルギーを直接使う「雨デモ風デモハウス」。この不思議な空間に学ぶ、これからの建築とは......。</p>

<p><br />
■自然の恵みをそのまま使うエクセルギーハウス</p>

<p>東京は武蔵小金井の雨デモ風デモハウスを訪れたこの日は、うららかな小春日和だが、まだ外套が必要な気温だった。雨デモ風デモハウス内にあるデモデモcaféでは、子連れでランチを楽しむ主婦のグループやカップルで賑わっていた。窓は開け放たれていたが肌寒さはなく、心地よい温かさだった。床の無垢材が太陽の光を吸収して温かく感じるのだろうな、と思っていたが、実は温熱工学的に様々な仕掛けがほどこされているからこその快適な環境だった。</p>

<p>雨デモ風デモハウスは、東京都が「東京都地球温暖化対策等推進のための区市町村補助制度」で建設資金を助成し、小金井市が滄浪泉園緑地に面した敷地を提供し、中央線の三鷹〜立川間の沿線エリアを中心に環境共生のまちづくりに取り組むNPO法人グリーンネックレスの建築室が設計を担当、運営を市民グループが担う、公共と市民の協働でつくった実験住宅だ。地産地消で環境に配慮した食材を使ったナチュラルごはんが食べられる「デモデモcafé」や、無線LANやプロジェクターを備えたノマドオフィス兼コ・ワーキングスペースとして、また、環境や地域活動に関わるイベントや講座が開かれるなど、様々に活用されている。</p>

<p><br />
雨デモ風デモハウスはその名の通り、太陽の光と熱、自然の風、雨水といった、自然のエネルギーを最大限に活用した住宅だ。いま、大手住宅メーカーが率先して開発を進める「スマートハウス」は、住宅の屋根に太陽光発電パネルを設置して電気をつくり、省エネ機器を導入し、HEMS（Home Energy Management System＝電気の発電量、使用量を"見える化"して効率的な運用を図るシステム）で連携するように、「自然エネルギーを電気に変えて使う」ことが前提になっている。雨デモ風デモハウスでは、自然エネルギーを直接使う。電気をつくって、エアコンで温風や冷風を送って冷暖房するわけではないから、リモコンで好みの温度や風量を設定することはできない。陽だまりのようなほんのりした温かさや、木陰のようなほどよい涼しさを感じる空気に、ひと筋の光や、そよそよと流れる風が、季節感を添える。</p>

<p><br />
この環境配慮型技術の粋を集めた「エクセルギーハウス」の普及と技術確立に尽力してきた建築家の黒岩哲彦さんは、「遠くから運ばれてくる強力なエネルギーを使わないと本当に快適な暮らしは実現できないのでしょうか。そのような社会をつくってしまった人間は、地球の棲まい手としては落第生ではないか」と問題提起する。身近な資源性（エクセルギー）に着目し、暮らし方と技術システムの両面から、私たち人間が地球の棲まい手たるにふさわしい建物をつくるのが私の役目、と力を込める。</p>

<p>「エクセルギー」というのは、物理学の概念で、大まかに言えば、エネルギーや物質の拡散と集中の循環を示す。食物連鎖や生態系の循環、そして温熱環境なども、エクセルギーの概念で説明できるという。地球上の生物は、身体を構成する要素のうち、水分の占める割合が大きい。人間ならば赤ちゃんだと75％、大人は60〜65％が水でできている。水があることでカラダの中を物質が移動し、熱を保つことができる。体温よりも外気温が高いような時は、汗をかいて熱を蒸散し、冷却機能が働く。エクセルギーハウスでは、太陽と風と雨の力を借りて熱の移動を促していく。</p>

<p><br />
■空気の温度ではなく、建物の周囲面の温熱環境を調節する</p>

<p>外気温が15度くらいのこの日は、暖房がある方が過ごしやすい。雨デモ風デモハウスでは、床と壁、天井（周囲面）の温度を、室内よりも少し高く設定する。周囲面の温度は22度で、室温はだいたい15度。エアコンによる気流は発生しないので、どこかが極度に乾燥したり、冷たいということはない。窓を開け放しても、周囲面が温まっているので、体感温度は心地よく快適そのものだ。</p>

<p><br />
周囲面の温度をコントロールするのが、雨水と太陽だ。屋根面から雨樋を通して床下に3トンの雨水をため、冬は屋根に送って太陽熱温水器で雨水を温める。屋根面と床面の温まった雨水が周囲面を室温より高くまで温め、室内がほっこり温かくなる。夏は、常に新しい雨水を冷熱として床下に蓄える。天井面と屋根面の間は、夏は通気層として自然の風が通り抜け、雨水を蒸発させて気化熱で天井面の温度を下げる。冬は通気層を閉じて保温層にする。室内側の天井面は熱伝導性の高い金属を採用している。夏は外気温が30度くらいでも、天井面は気化熱で25度くらいに下がる。また、夏でも雨水の温度は約25度なので、常に新しい雨水を床下にためて、床面は26度程度を保つ。</p>

<p>エクセルギーハウスでは独自に開発した"詰まらない樋"で、落ち葉や砂や埃をろ過して、常にきれいな雨水を確保できる。エクセルギーハウスの冷暖房に使う電気は、床下にためた雨水を、冬季は太陽熱温水器に、夏季は天井面に送るポンプの動力や、制御回路用に、180〜240Wで十分まかなえるので、小型の太陽光発電パネルを屋根面に積めば冷暖房のエネルギーも自給自足できる。</p>

<p>「天井、床、壁。周囲面の温度をいかにつくるかがポイントです」と、黒岩さん。室内の空気の温度を調整するエアコンなどの冷暖房は、窓を開ければすぐに室温が変動するので窓を閉め切りにしがちだ。周囲面の温度を調整するエクセルギーハウスは、窓を開けていったん室温が変化してもすぐに戻ろうとするので、室内にいる人は窓を開けやすくなる。人間の体への負担が少ないことも科学的に証明されているという。ちょっと暑い、あるいは肌寒い時には、壁に引き込んでいる可動周壁を引き出して壁面を増やせば、熱の放射を受ける面が増えるので、窓を開けて外気を入れても体感の心地よさは維持できる。</p>

<p>「際立った公害地域でない限り、建物の外の空気のほうが室内の空気よりもきれいです。そうでなくなった時は、地球上の生き物が滅亡する時とも言えます。そこで我々は、年間を通して窓を開けることによって快適になる期間や場面が長くなる建物の仕組みを開発してきました。我々は、地球の棲まい手ですから、外の自然と一体になって生きていくのが基本です」（黒岩さん）</p>

<p><br />
■まちづくりの成功体験を虫食いのように広げたい</p>

<p>「雨デモ風デモハウスは、蒸し暑い日本の夏に適したエコハウスの実験でもありますが、公共建築としてのつくられ方の実験でもあったと思っています」</p>

<p>こう話すのは、NPO法人グリーンネックレス設計室の岡田裕康さん。雨デモ風デモハウスの設計・デザインや、市民による運営コーディネートの立役者の一人だ。「これまでの公共建築は、行政が市民とは無関係にハコモノを完成させて完了という傾向が強かったが、雨デモ風デモハウスは市民が建物の企画段階から参加し、使い勝手も含めた運営までのイメージをつくり上げたことが重要です」</p>

<p><br />
雨デモ風デモハウスは、2011年9月にオープンした。それから、地域づくりや環境に関わる市民グループが集まって話し合いをしたり、環境や暮らし方に関する講座を主催し、運営している。</p>

<p>例えば、2012年1月から3月まで全5講座を開催した「雨風ゼミ」では、エクセルギー理論を提唱する東京都市大学環境情報学部・大学院教授の宿谷昌則氏や、雨デモ風デモハウスのビオトープを設計した宮城県のNPO法人田んぼ理事長の岩渕成紀氏、パーマカルチャー・センター・ジャパン代表理事の設楽清和氏等、雨デモ風デモハウスで実践している農や食、暮らし、水、そして建築に関わる、様々な分野のプロフェッショナルによる講座がおこなわれた。また、地と人をつなぐ仕事「地営業」（じえいぎょう）を育てる講座「まちえね＋＋（たすたす）セッション」では、黒岩さんを始め、自然エネルギー利用や、当連載でも紹介した皮むき間伐の実践、アロマセラピーなど暮らしに関わることまで、日本各地で活躍する地営業者のトークと地元での仕事につなげるアクションづくりなど、多彩で充実した地域活性事業がおこっている。</p>

<p><br />
もちろん、デモデモcaféがあることも、雨デモ風デモハウスに人が集まってくる要因だ。武蔵野の大地で採れた新鮮な野菜をメインに、ヘルシーでオシャレなランチや美味しいドリンクで、地域の人々が食の時間を楽しむ。ランチプレートには「おそうじパン」という小さなソフトパンがついて、食後にお皿を拭く。お皿がきれいになれば、食器洗いによる排水も少なく洗剤を使わずに済む。排水はそのままビオトープへ。絶滅危惧種のサンショウモやイトトリゲモなどが生え、メダカがのびのび泳いでいる。<br />
　</p>

<p>「雨デモ風デモハウスは、私の考える"虫くい型まちづくり"の一つの拠点にできたような気がしています」と岡田さん。広大な敷地を一気に再開発するようなまちづくりではなく、コミュニティのなかに雨デモ風デモハウスのような一つの拠点ができて、まちづくりの小さな成功体験がポツポツと虫食いのように広がっていけば、点がつながっていずれ面になることを市民が実感できるようになるだろう。「この建物を劇場に例えれば、竣工後もコミュニティ建築家には演出家・美術監督の役割が残っているように感じる。市民が展開するイベント等をうまく誘導し、ソフィスケートされた市民運動を展開したい」と岡田さん。</p>

<p><br />
暮らしに直結した建築。建築物の集合体が地域を成していくとしたら、建築家の役割はとても大きい。太陽や風など、自然エネルギーを使った電気をつくり、住まいを「閉じて」室内の温熱環境を維持するよりも、窓を開け放ち地域にひらいて暮らすことができるならば―--。「地球の棲まい手、地域の住まい手」として、日々の暮らしをどう志向していくのか。雨デモ風デモハウスが、今後虫くいの穴をどれだけ広げられるか、そして全国各地にこのような取り組みが飛び火していくのかが、楽しみだ。</p>

<p><br />
写真・文／キタハラマドカ（ジアスニュースライター／<a href="http://morinooto.jp/" target="_blank"><u>森ノオト</u></a>編集長）</p>]]>
        
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    <title>【エジプト革命 vol.3】美しいデモ</title>
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    <published>2012-04-02T07:34:04Z</published>
    <updated>2012-04-02T07:39:04Z</updated>

    <summary>1月25日のタハリール広場には数百万人の人達が集まり、祝福ムードに湧いた。広場の...</summary>
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        <![CDATA[<p>1月25日のタハリール広場には数百万人の人達が集まり、祝福ムードに湧いた。広場の中心をムスリム同胞団のお祭り騒ぎに占領されたことで、 第二の革命を起こそうとしている若者達はさぞかし落ち込んでいることかと思いきや、 私が出会った多くの人は晴れやかな顔をしていた。「街の10カ所から、広場に向かうマーチをしたの。」当日の夜、レストランで遭遇した友人は言った。その行列の殆どは混雑したタハリール広場には入れなかったけれど、「あまりにも美しかったのよ。」<br />
2日後、マーチが再び行われるというので、行ってみることにした。午後1時。マーチのスタート地点であるモスクの外には、すでに沢山の若者達が集まっていた。祈りの時間が終わると、モスクの中からも人が出てくる。思い思いのメッセージボードを持った行進が始まった。</p>

<p><br />
天気は快晴。色とりどりのメッセージボードが青空に良く映える。そのうちに、かけ声が始まった。リズミカルで乗りやすいかけ声は、シュプレヒコールというよりは、サッカーの応援歌にイメージが近い。試合の観戦にきた大きな集団がスタジアムに向かう途中に待ちきれず歌い出したようにも映る。「 何だか楽しそうで、思わず参加したくなりますね。」 日本から今回の取材に合流してくれた北代君が言った。 実際、行進のサイズは段々と大きくなっていった。 歩く人々は、行列の中で知り合いに会うと嬉しそうにハグを交わした。 デモが普段会えない人との再会の機会になることもあるのだ。</p>

<p>ナイル川を手前に、 アパートが多く立つ地区に達すると、窓から人々が顔をのぞかせてデモの様子を見ていた。デモ隊は少し立ち止まり彼らに向かって声をかける。「エジプト人でしょ！外に出ておいで！いっしょに歩こう！」列の真ん中辺りで、長い帯状のエジプト国旗が広げられた。数十人の大人が両端を持ち、子どもたちはその長い布の下を嬉しそうに駈け回った。長さ10mはありそうなその国旗が、ナイル川の橋の上を渡っていく。この光景を我先に写真に収めようと橋の手すりに登るカメラマンたち。私も上ったが、写真に収められるような高さには届かず、 諦めて空を仰いだ。誰かに空中写真を撮っていて欲しいと思った。<br />
一緒に歩くこと5時間。行進はようやくタハリール広場についた。広場はまだムスリム同胞団の祝福騒ぎが続いている。既に広場にいた大勢の人と、デモの大勢の人々がごちゃごちゃになって、全く先頭が見えない。デモの人達の唄をかき消すかのようにコーランの音楽が放送される。</p>

<p>衝突が起きるかとひやりとしたが、何も起こらなかった。見失って電話をかけると友人たちはダウンタウンに無数に点在するストリートカフェのいずれかにお茶をしにいったり、ご飯を買いに行ったりするために一旦デモを離れたと言った。そのデモ隊はいつの間にか広場を抜けていて、マスピーロと呼ばれるテレビ塔に向かっているという。「別にこだわることはないと思っている。確かにタハリール広場はエジプトの長い歴史で革命広場と呼ばれてきたけれど、あそこに座りこむことが全てじゃないしね。」 昨年、広場を「占拠する」ことにエネルギーを注いでいたロブナがさらりと言った。<br />
テレビ塔の中では、職員の一部が、局の放送方針に反対して、座り込みを起こしている。 独裁政権が倒れても、軍と経営部の癒着は強く、国営テレビは軍に不利になる内容は流さない。そんな経営部に対して抗議を始めたのだそうだ。テレビ塔に向かう人達の中には、中からメディアを変えようとする職員達を外側からもサポートしたいという想いがあった。</p>

<p><br />
何度かテレビ塔の様子を見に行った。人の数はどんどん増えて賑やかになっていた。夜23時、寝る前にもう一度と行ってみると、テレビ塔の丸い壁をスクリーンに、映画が上映されている。「これはカザブーンっていうんだ。」私の隣に立っていたトルボと名乗る男性が説明してくれた。「英語だと嘘つきキャンペーン。軍がTV局を使って発信している情報と道で起きている真実の乖離をテーマにした作品を集めて、こうやって道で上映しているんだよ。」丁度、目の前で流れたショートムービーは、影絵のようなアニメーションだった。市民に暴力は行使しないと国営テレビで公言する軍が、実際はデモ隊を攻撃していることを訴えているが、見せ方はどこまでもアート作品だ。<br />
もし公園の芝生に寝転んで屋外上映会を見たことがあるなら、その風景を思い出して欲しい。壁に近い方の人達は、アスファルトの地面に座ったり、毛布をしいて寝転んだりしながら映画を眺めている。輪の中心に行くと、プロジェクターとノートパソコンを操作している数人がいる。プロジェクターとそれに跳ね返った光が照らす人々は真剣と好奇心のまざった表情で映像やメッセージを味わおうとしていた。</p>

<p>映像に見入る人達から少し外れたところでは、誰かが火をおこそうとしていた。人が集まってきて、すぐに輪が出来た。火が灯ると、誰一人の少年が歌い始めて、周りが手拍子を始めた。輪の中心で灯った火が、彼らの笑顔を照らす。冷え込む夜を暖めてくれる火のせいか、その火を囲む人達が楽しそうだったせいか、その場はなかなか離れがたかった。<br />
 宿に戻ると、デモの報道を心配した日本の知人たちからメールが来ていた。私はそのメールを読みながら、自分が見たものを思い出していた。沢山のさわやかな笑顔、真剣な眼差し、広場に固執しない潔さ、行進に参加する人々がお互いを思いやる場面、屋外映画上映、キャンプファイアー。<br />
「美しかった」とパソコンに打ち込んだ文字を消した。危険を感じるよりも感動することの方が本当は多いだなんて分かってもらえるだろうかと考えてしまった。</p>

<p><br />
文・寺井暁子<br />
写真・寺井暁子／北代暁也</p>]]>
        
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    <title>市民創発へ、つながりへのキーワード</title>
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    <published>2012-03-30T07:13:04Z</published>
    <updated>2012-03-30T07:21:04Z</updated>

    <summary>Visionary Peopleに聴く&quot;つながりのデザイン研究所長&quot;小川巧記（ たくのり）さん</summary>
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        <![CDATA[<p>── 小川さんは2005年開催の「愛・地球博」の市民プロジェクトのプロデューサーや、横浜開港150周年、「Y150」の総合プロデューサーをされています。そこでは、多くの市民を巻き込んで、大きなムーブメントをつくってきたのですが、どのように市民を巻き込み、つながっていくのかをお聞かせください。</p>

<p><br />
2005年に「愛・地球博」で市民のプロデューサーをさせていただいたのですが、上手くつないでいくなんてことは出来なくて、とりあえずつないでみることしか出来ないのです。万博の頃から「つながり」というのは、21世紀のエンジンとして非常に重要なことだって強く確信できているのですが、その反面「じゃあ、ただつながればいいのか」という疑問もあるのですね。「つながる」ことの重要さと「ただ、つながればいいのか」という疑問、常にこの両面の意識をもっていないといけないのではないのかなと、僕はずっと思っています。</p>

<p>「つながり」で、実は万博からの一貫するキーワードというのがあって、「コ、ココ、ココロ、ココロミ」っていうものです。ニワトリのようですね。実は、「愛地球博」から一貫してきたのですが、「コ」とは個人、「ココ」というのは場所、「ココロ」というのはミッション、そして「ココロミ」というのは実際に行動を起こすこと。このプロセス、段取りが、非常に大事だなと思っております。その段取りによって生まれるのが「市民創発」です。この言葉は、僕が、勝手に名前をつけたのですが、多様な市民の人たちが、出会い、対話することで、「創発」が起きる。そのために実は「つながり」が大事なんじゃないかという発想なのです。</p>

<p>「愛地球博」から、こういう試みが始まりました。万博自体は、長久手会場と瀬戸会場と２つの会場があり、瀬戸会場の方の「市民パビリオン」に、いろんな市民の人たちが集まって展開したことから市民創発が始まりました。<br />
瀬戸の会場で、「市民プロジェクト」として非常にスローな万博を展開いたしました。「子供たちが足水やりながら遊んでいる、これはどうみても国際博の会場じゃないだろう」と言われましたけど。では、なぜ「市民参加」が、あの「愛地球博」に重要だったかというと、それが、時代のエンジンだったからです。</p>

<p><br />
万博って言うものは、時代のエンジンを見せるショールームという特徴をもっています。それが150年の歴史の中で、最初の万博、1851年のロンドン博から始まる19世紀では、エンジンとは「国家」だったのです。国がまさに時代をつくり、国民国家、「国の力」を見せる博覧会が開かれたのです。ロンドン博とかパリ博。それはもう、フランスの力、イギリスの力、そういう帝国主義の力を見せ合う「覇権国家」がエンジンとなりました。</p>

<p>その次に20世紀になって、エンジンが「国家」から「企業」に転換してきた、まさに大量生産大量消費というスキームの中で、産業や企業の力を見せる博覧会が展開されました。6000万人動員した「大阪万博」。太陽の塔が建った70年の万博開催ですが、あのときに企業のパビリオンが30数館出展するのですね。企業のパビリオンが花形だった時代で、それは、その後「つくば博」に引き継がれ、まさに「企業」の力を見せ合う万博というのが展開した。これが21世紀になったらどうなるのだろうか？</p>

<p>万博では、21世紀の時代のエンジンを見せなきゃいけないという私の仮説の中で、私はそれが「市民」であると設定しました。そういう意味で市民参加の万博をやる。まさに時代のエンジンが「市民」であり、「市民」の力を見せる万博をやるのが、この「愛地球博」だと方向付けたのです。しかも、「市民」の力って一体何かというと、その市民、普通の生活者の人たちの問題解決力を見せる、そういう博覧会であるべきだろうと思ったのです。結果的に、普通の市民の人たちを中心に、当然ＮＧＯ、ＮＰＯも参加するなかで、結果的には２３５の市民プロジェクトというのが２年半ぐらいで、「市民創発」として「コ、ココ、ココロ、ココロミ」という一つのプロセスを踏まえながら生まれてきたのです。</p>

<p>フランスのパリに本拠を置くＢＩＥ（博覧会国際事務局）と言う、オリンピックで言うと　ＩＯＣのような組織がありますが、そのＢＩＥに「市民プロジェクト」を非常に高く評価していただいたのです。多分初めて市民の、本当に「生の力」が表現されたと、いう形だと思います。<br />
とはいえ、実際のプロジェクトは、シンプルで、例えば、慶応大学の学生が作った「地球回廊」というプロジェクトも、10台のパソコンが回廊上に並んでいるだけなのです。そこに彼らが開発したシステムによって、アフガンの小学校とか、カンボジアの小学校とつながるのですね。ある一定時間だけ、つながるんですけど、会場と対話が出来る。で、会場には、日本のいろんなお客さんが来ています。瀬戸のおばちゃんとかそういう人たちも来ているのですけど、それが毎日のようにある時間帯だけつながるっていうことをやってみたら、そのうち、そのアフガンの子どもたちが、いろいろなことを始めるようになったのですね、画面の向こう側で。</p>

<p>自分の絵を見せたり、踊りを見せたり、歌を歌ったりって、だんだんいろんなことをやる。と、こっち側にいるお客さんたちも、それに応えるようになってきた。日本人は、シャイだから最初は見ていたのですけど、だんだんやりだした。で、そのうちですね、アフガンのある小学校の校長先生からお礼が来まして、９・１１以後のアフガンは孤立していましたから、「本当にありがとう、あの時アフガンの子どもたちは、自分たちは世界から捨てられていると思っていた。だけどあの小さな窓で、日本とつながっていろんなことをやるうちに、自分たちにもまさにこういうつながりがあるのだと。一人じゃないのだということが分かって元気になった」というのです。</p>

<p>小さな窓とはパソコンですけど、学生たちがほんと作ったシャビーなシステムが、アフガンの子供たちの心とちょっとつながったという現象が起きていたのです。こういうのは「市民プロジェクト」らしく素晴らしと思うのですね。同じく市民プロジェクトとして「対話劇場」というのをやりまして、90分とか長い対話をみんな聞いていくのです。万博というのは大体、次から次へ回遊していきたい場所なのですけど、パビリオンを多く見たいというよりも、９０分、下手すると２時間ぐらい人の話を聞いたり、対話したりする不思議な現象が起きたりしました。こういうことの一つひとつが、２３５のプロジェクトとして展示をしたのです。</p>

<p><br />
── 「愛・地球博」を通じてのつながりからどのような成果が生まれたのでしょうか？</p>

<p>「愛地球博」でやった市民参加の成果で、三つのことが言えるかなというふうに思っております。<br />
１つは「対話」により創発なプロジェクトは生まれます。先ほど言いましたアフガンの子供たちとつながる企画のほか、お母さんたちが「カンボジア子どもたちも、私たちの子どもだ」と言い出して、教育支援をするプロジェクトを作り出したり、のです。とにかく、非常に多様なプロジェクトが多く生み出されたのでした。</p>

<p>もう一つは、まさにその、気づきとつながりの「プラットフォーム」が生まれたっていうことです。そういうことにみんなが取り組むことによって、自分に出来ることに気づいた人たちがいっぱいいたのです。つながっていって、特にさらに面白かったのは、万博だからこそでもあるのかもしれないですけど、ここに来られたお客さんたちは、最初はそんなことに興味ある人じゃないのですね。万博では、シベリアで発掘された冷凍のマンモスがシンボルでしたが、マンモスを見に来たお客さんが、人気パビリオンは混んでいるから、追い出されて、空いている「市民パビリオン」に来ちゃった。そしたら、たまたま面白いことやっていることに気づくわけですね。そこでアフガンの子どもたちを画面で見ちゃった。その子どもたちと、言葉は通じないけど、なんか対話した、そういう経験を普通の無関心だった人たちに何気なく開いたってしまったのです。これは非常に重要なことだと思うのです。</p>

<p>「アースデー」にしてもそうですけども、市民参加型イベントは、大体、知り合いが多く、同窓会みたいな状態になるわけですね。「やあ久しぶり」みたいな話が多いわけですよね。つまりほとんどはその世界の中の内存在の人たちが来るのですけども、こういう所で、よりオープンなプラットフォームを作れば作るほど、知り合いでない人たちとそういう問題に出会える。これは非常に大事な出来事なのではないだろうかと思います。そういう意味で、主催者側も「気づき」と「つながり」のプラットフォームだったけれど、来場した人、まったく関心のない人も「気づき」、そしてＮＧＯや人との「つながり」が生まれていったプラットフォームだったのです。<br />
全体としてもう一つの大きな気づきだったのは、「環境破壊」は「関係破壊」であるということですね。</p>

<p>「愛・地球博」自体は環境問題に正面から取り組んだ博覧会と言われておりますけども、市民が生んだ235のプロジェクトなどのテーマは様々だった。先ほどの教育や学校支援、学生たちが缶バッヂで地雷を除去しようという運動をやったり、おじさんたちの盆栽によるCO2固定化もあったりしました。みんなテーマは違うけども、基本的に目指したところは、実は「関係回復」なんですね。あらゆる問題の根本には、関係性の破壊にあると感じました。20世紀の社会が、やはり関係を壊してきてしまった。それはより早く、より大きく、より強いものを求めてったところの中で、関係が壊れて行ってしまったのです。</p>

<p>それに対して、市民が出来ること、市民がエンジンだと言うならば、何のエンジンかと言うと、その壊された関係をもう一度回復していくエンジンとしての市民ということ。が、これが35のプロジェクトを通して出てきた強いメッセージなのですね。遠いアフガンの子どもとの関係を回復し、あるいは自然との関係を回復していく、そういう意味で、まさに市民というのが関係回復のエンジンになることに気づいた万博だったと思っています。</p>

<p><br />
── こうした市民創発的なプロジェクトは、どのように運営されていくものでしょうか？</p>

<p>この市民プロジェクトというプラットフォームを作る時に、最初に立てたコンセプトは非常に大事でした。まず、主体はあくまでも「個、個人」にするということです。ＮＧＯ、ＮＰＯであったとしても団体組織にしない。あくまでも参加主体は「個人」にする。それから、もう一つは、どういう関係を結ぶかというところに、出来るだけフラットな関係を結ぶ場を作るということですね。20世紀はピラミッド的な社会だったのを、21世紀は、それをフラットな所へ落とす。ピラミッド作るのは日本人が得意なのですよ。親分、子分の関係を結ぶのは得意なのですけど、それを水平な関係に持ち込むことをするわけです。</p>

<p>それともう一つ大事なのが、成果としては、プロダクツではなく、プロセスを大事にするということです。20世紀は、プロダクツが大事だったのですね。より早く、より強く、より大きなものを作れ、人よりも早く作れっていう、そういうプロダクツ優先の社会だったのですが、今大事なのはやはりプロセス、どれだけ良いプロセスを踏むかっていうことが大事である、ということなのです。これは「市民創発」の非常に大事なコンセプトです。</p>

<p>まず自分が主体で立つということ。「われわれ」ではなく、「私」はっていう一人称単数のところに立つということが、この「市民創発」にとって非常に大事であると。もう一つ、それは、もう一つの「ここ」というリアルな場所に気づく。自分が生きて行くリアルな「場所」に気づき、そこにあるものを探していくことが非常に大事である。そこから自分に出来ることはなんだろうと使命に気づいていく。私として立ち、「ここ」ということを大事にし、そこで「使命」に気づく、その流れは、ワークショップの流れの中でも共通してあり、その意味で、ワールドカフェは、非常に有効に使える手法と思っています。その私に出来ることに気づいたものを、実際の行動に起こしてみる。行動した結果を、またもう一度、私というものに対して振り返って行くという流れが、非常に大事な気づきのプロセスなのです。</p>

<p><br />
万博の話だったのですけど、横浜で展開した「Y150」では、実は市民参加の部分では、182のプロジェクトを一年半で生みました。これは、今でも動いている企画もあり、横浜市自身のブランディングまで絡んだ大きな「動き」になっています。例えば、遊べる棚田を市民が作ったのですよ。市民と農大の学生たちと一緒に、駐車場跡地に作ったものです。アスファルトをはがして作ったのですけど、面白いですよ、一面のアスファルトだった駐車場をはがしてこういうふうにすると、水を入れただけでおたまじゃくしが返って来たり、蛙が返って来たり、それを捕りにカルガモの親子まで来ちゃったり、自然の回復力ってすごいってことを、まじまじと感じました。</p>

<p>182のプロジェクトで、横浜では9万人の市民参加というのが得られ、その結果、かなり意識的になった市民の人たちがいたので、その人たちとともに「イマジン・ヨコハマ」という横浜の新しいブランディングをやったのです。500人のワールドカフェを展開しました。そういう形で新しい「OPEN YOKOHAMA」という市民によるブランディングを形にしまし、一年間かけて、かなり新しい試みをしました。</p>

<p><br />
── 小川さんは、これから、どのようなプロジェクトに取り組んでいこうとお考えですか？</p>

<p>これからの大きなテーマは、「関心持続」と思うのです。３．１１以後の東北のシーンは、もうニュースは相当少なくなってきています。マスメディアのニュースは、ほとんど政治絡みの問題ばかりで、本当に東北各地や福島はどうなったかは全然見えないのですね。例えば、福島県の様々な自治体の人たちはもう、あっちこっちバラバラに避難してしまっているわけですね。今、僕がちょっとお世話している地域では、ある２６都道府県にバラバラに住んでいるのですね。そこでは、もう8割以上の人がふるさとの情報はまったく手に入らないという状況なのです。</p>

<p>情報として取り扱う量がどんどん低下すると同時に、みんなの関心も引いて来るだろうと思うのです。下手すると、批判に回ってくる勢力も出てくるかもしれません。「いつまでも福島なのか」という話すら出てくる。現実、被災地から来た人を受けいれるコミュニティの中で、批判が出てきているケースもあります。そういう意味で、今一番すごく重要なのは、東北や福島に関心を持続させていくことだと思うのですね。</p>

<p>今年、私がやりたいチャレンジとしてソーシャルネットワークとリアルなダイアローグを組み合わせて、関心を持続させていく「里山構想」です。里山は本来、里と奥山を持続可能にするためにその間に里山があるわけですね。それは参加と協働の世界だった。まさにそういう、もう一度、里を新しく今復興という形で回復させるために、里山が必要なんじゃないかということで、情報の里山として、誰でもが入り、誰でもが採れ、でも誰もが共存する場が持てないかと思っているのです。「コ、ココ、ココロ、ココロミ」というプロセスから生まれる市民プロジェクトに、こだわっていきたいと思うのです。</p>

<p><br />
聞き手・文／森一彦（ジアスニュース）</p>

<p><br />
■プロフィール<br />
小川巧記（おがわたくのり）</p>

<p>ビッグバン・ハウス株式会社　代表取締役<br />
つながりのデザイン研究所長<br />
ソーシャルイベント・プロデューサー、クリエイティブ・ディレクター<br />
1954年東京生まれ。1977年NHKアート入社。その後広告企画、ドキュメンタリー番組の演出などを経て、87年にビッグバン・ハウス（株）を設立。広告やイベントを通して、市民・企業・行政をつなぐコミュニケーション・プランニングを行う。<br />
国際ゆめ交流博（仙台）で参加型パビリオン「三井グループ・東芝館」をプロデュース。<br />
2005年愛・地球博においては、国際博覧会史上初となる市民参加事業のプロデューサーを務め、２３５の市民によるプロジェクトを生む。2009年には、横浜開港150周年記念テーマイベントにて総合プロデューサー。ブランディング「イマジンヨコハマ」など、マルチステークフォルダーの参加と恊働のプラットフォームづくりを行っている。</p>]]>
        
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    <title>第33回：たくわえられるエネルギー「水素」</title>
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    <published>2012-03-29T13:15:22Z</published>
    <updated>2012-04-29T13:26:35Z</updated>

    <summary>山梨県で実証実験が始まった！
再生可能エネルギー体験施設、山梨県甲府市の「ゆめソーラー館やまなし」</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://theearthnews.jp/feature/">
        <![CDATA[<p>化石燃料を燃やす火力発電や、放射性廃棄物を生み出す原子力発電から、持続可能なエネルギー源にシフトしたい。太陽や風、水、波など、自然エネルギー、新エネルギーがにわかに脚光を浴びているが、ダークホース的存在「水素」を忘れてはならない。水の電気分解の逆、酸素と水素を化学反応させると、電気をつくることができる。化学反応のために必要な電気を自然エネルギーでつくることができたら......水と空気からCO2フリーの新しいエネルギー源「水素」を生み出し、発電することができる。そんな実験がいま、山梨県は甲府市、米倉山でおこなわれている。</p>

<p><br />
■太陽の光で水を水素に変え、電気をつくる。</p>

<p>電気は、つくる量と使う量が常時同じ、つまり「同時同量」が原則で、貯めておくことができない。そのため、日本では真夏の最も電気を使う数日、数時間の「ピーク」時に電気が足りなくならないよう、電力の供給能力を高め、需要に合わせ設備容量を増やしてきた。でも、電力需要が減る夜間等に電気を貯めることができたら......いま起こっている様々な課題を解決できるのではないか、と考えるのは素人だろうか。</p>

<p>現在各社がしのぎを削って開発を進めている蓄電池は、電気自動車用のリチウムイオンバッテリーの分野で先行してきた。昨年は家庭用蓄電池元年と言われ、市場投入が始まったばかり。電気系統用の大規模蓄電池とエネルギーマネジメントの実証事業も国内外で始まりつつあるが、蓄電の技術が私たちの日常生活に恩恵をもたらすまでにはまだ相当な時間がかかるだろう。</p>

<p>エネルギーを「電気」の状態で貯めるのが蓄電池だが、それとは異なる形で「電気に変わるエネルギー」を蓄えようとする実証実験が、今年1月から山梨県甲府市の米倉山で始まった。今年1月28日に開館した米倉山太陽光発電所PR施設「ゆめソーラー館やまなし」は、太陽光発電や太陽熱利用を中心とした様々な再生可能エネルギーの技術や、山梨県のエネルギーに関する動向や情報を紹介する施設で、同時に館内のエネルギーを再生可能エネルギーで自給自足する実証フィールドとしての機能も持つ。</p>

<p><br />
ゆめソーラー館やまなしの一角で、神戸市に本社を置く神鋼環境ソリューションが取り組んでいるのが、太陽光発電等の再生可能エネルギーによって水を電気分解し、水素と酸素にわけて、発生した水素をタンクにいったん貯めておく「水電解式水素発生装置」の実証実験だ。タンクに貯めておいた水素は、必要が生じた時に館内の純水素型燃料電池に供給し発電することで、ゆめソーラー館やまなしの電力需要の一部をまかなう。つまり、再生可能エネルギーを使って水を水素に変え、燃料電池によって発電する、という実験なのだ。</p>

<p><br />
■燃料電池の最先端の研究が集まる山梨県の強み</p>

<p>米倉山太陽光発電所は、2010年にスタートした山梨県企業局電気課と東京電力の共同事業で、甲府市北部の標高388メートルの県有地25ヘクタールの敷地に7万8542枚の太陽光発電パネルを敷き、合計1万kW級（10メガワット）の発電所として今年1月に運転開始した。</p>

<p>高い山に囲まれた山梨県は、晴天率がとても高く、甲府市の年間の日照時間は2128時間で国内ナンバーワン。10位の群馬県前橋市の2037時間と比較しても5％以上多い。運転開始以降の稼働率は、冬季にも関わらず15％（太陽光発電の平均は約13％）と高い。</p>

<p>採用した太陽光パネルはCIS薄膜化合物型で、1枚あたり約20kg程度の重さ。太陽光パネルは日本の緯度に近い30度の傾斜で設置されるのが一般的だが、夏季の発電効率アップと風圧の影響を軽減するために、米倉山発電所では10度というゆるい傾斜で据え置いている。寝かせることで影ができず、たくさんの枚数を置け、基礎も比較的軽量で済む。</p>

<p>「山梨県では、ソーラー王国やまなしを目指している。また、歴史的に水力発電に力を入れ、県では電力量の10％を水力発電でまかなっている。森林管理の解決策としてバイオマス利用を推進し、燃料電池をこれからの産業として積極的に支援する。この4本柱で、CO2ゼロやまなしの実現を目指す」</p>

<p>こう話すのは、山梨県企業局電気課開発担当主査の宮崎和也さん。山梨県では北杜市などでもメガソーラーの誘致実績があり、今年度は韮崎市と甲斐市でも実証事業が始まる。すでに県内一般家庭の5％ほどに家庭用太陽光発電パネルが接地されており、県としても今年度、1億1380万円の予算を設けて既設住宅への普及を促進していく。県が昨年12月掲げたやまなしグリーンニューディール計画では、2050年までにCO2排出量を実質ゼロにする目標を掲げ、その中心軸に再生可能エネルギーの普及を据えている。県土の78％を占める森林を活用する木質バイオマス利用や、水力発電では特に小水力発電に注力して、砂防ダムやダムの放流水等の未利用エネルギーを活用していく。</p>

<p><br />
山梨県のもう一つの強みは、燃料電池だ。山梨大学には燃料電池ナノ材料研究センターがあり、触媒や電解質膜等の材料研究における世界最先端の知見が集まっている。2015年の商品化を目指して燃料電池自動車の研究や、家庭用燃料電池の量産とコストダウンを目指した研究等が進んでいる。山梨県産業労働部産業政策課海外展開・成長分野推進室主任の千田知宏さんは、「燃料電池に関する世界最先端の研究実績を誇る山梨大学の研究支援に県としても取り組んでいきたいし、燃料電池に取り組む事業所の誘致等にも力を入れたい」と話す。</p>

<p>神鋼環境ソリューションの水電解式水素発生装置と、パナソニックの純水素型燃料電池を再生可能エネルギーで動かすこの実証実験は、山梨大学の監修のもと、産・官・学の連携でおこなっている。「電気をためる」という課題に真っ正面から取り組み、山梨県の再生可能エネルギー戦略の「新しいピース」になり得る、最先端の取り組みなのである。</p>

<p><br />
■　いま目の前にある実験が、新しいエネルギー社会の一つの答え</p>

<p>2008年に市場投入が始まった家庭用燃料電池は、「エネファーム」の愛称で知られる。家庭用燃料電池は、天然ガスやプロパンガスなどを水素に改質して酸素と反応させ電気を起こす仕組みで、中学校の理科で習った「水の電気分解」の逆バージョンで発電をする。この時、電気だけでなく熱も生み出すので、排熱で水を温め60度のお湯を貯湯槽に貯めることができる。</p>

<p>一般的に発電所でつくった電気は、送電ロスがありつくられた電気の37％しか家に届かないが、エネファームは自宅で電気をつくるため送電ロスがなく、ガスからつくる電気の効率は36％、さらに発電時に発生する排熱のうち45％を給湯に利用できるため、エネルギーの総合利用効率は81％にもなる。</p>

<p>ただし、水素の改質のためには現時点ではどうしてもガスが必要で、化石燃料を使う以上はCO2の排出は避けられない。いまゆめソーラー館やまなしでおこなわれている実証事業は、この課題に取り組み、カーボンフリーで水素エネルギーを取り出すための実験だと言える。</p>

<p>神鋼環境ソリューションは神戸製鋼グループで、純水製造、海水の淡水化技術や、産業廃棄物の最終処分場の浸出水の浄化技術などの水処理技術を有しており、半導体や化学メーカーに欠かせない水素ガスの発生装置を1990年から開発してきた。膜を使用した水処理膜で純水をつくり、電気分解で水素をつくり出す水素発生装置の販売実績は、国内で100台以上。例えば鉄鋼では表面処理する際に酸素があると鉄が酸化して真っ黒くなるが、水素を流すと参加を防ぎ均質な製品ができるため、水素は鉄鋼や半導体などの産業に欠かせないガスとして使われてきた。</p>

<p>水素は最も比重の軽いガスで、熱交換しやすい。ただ、一定の濃度範囲に至ると爆発の危険性が出てくるという特性もある。</p>

<p>ゆめソーラー館やまなしでの実証実験では、逆浸透膜非再生ポリシャー（イオン交換樹脂）でつくり出した純水を電解セルに送り、純水を電気分解して酸素と水素を取り出す。酸素はそのまま大気中に放出し、水素はタンクに貯めておく。純水を使うのは良質な水素を取り出すためで、純水素型燃料電池への水素供給という目的がある。<br />
　取り出した水素は、館内の電力が足りない時に純水素型燃料電池に送り、大気中の酸素と化学反応させ、水と電気をつくり出して館内の電力として使う。</p>

<p>太陽光発電や風力の発電量は気象条件によって変動がある。ゆめソーラー館やまなしでの電力供給では、たとえば1日とか、時間単位の発電電力の比較的小さな変動などは蓄電池に充電し、館内の電力需要にも対応できるだろう。また、日照時間や天候といった比較的大きな変動などに対しては、太陽光発電で得た電力を水素としてタンクに貯蔵し、その水素を燃料電池に送り発電して対応することも可能という利点がある。タンクの圧力は7気圧とあまり高くせず、安全性にも配慮している。</p>

<p><br />
エネルギーの未来をどう考えるか？　その問いに、神鋼環境ソリューションプロセス機器事業部営業部課長の須田龍生さんは、「いま目の前にあるこの機器が、私たちの考え方の一つになるだろう」と答えた。この実証実験のポイントは、水を電気分解する際のエネルギーが再生可能エネルギーであるという点。日変動や季節変動が大きい太陽光発電で、どれだけ安定的に水素を発生させることができるのか、また純水素型の燃料電池で発電の安定性と耐久性を確認している。現在は、太陽光発電で生み出す直流の電気を交流にしてから電気分解に回しているが、いずれは直流のままつないでいくという目標も見据えている。</p>

<p><br />
太陽でつくった電気で、水を電気分解して、酸素と水素を取り出し、水素をエネルギー源として貯める。エネルギーが必要になったら、水素を取り出して空気中の酸素と化学反応させて、水と電気をつくる。新しいエネルギー源として注目される「水素」。わたしたちの暮らしに水素が根づく水素社会が遠からずの将来に来るとしたら、いまゆめソーラー館やまなしでおこなわれているこの実験は、間違いなくその礎になるだろう。</p>

<p><br />
写真・文／キタハラマドカ（ジアスニュースライター／<a href="http://morinooto.jp/" target="_blank"><u>森ノオト</u></a>編集長）</p>]]>
        
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    <title>流域の水は流域の人が守る</title>
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    <published>2012-03-29T00:58:55Z</published>
    <updated>2012-03-28T13:02:31Z</updated>

    <summary>水の流れに注目し持続可能なコミュニティーを復活させる（最終回）</summary>
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    <category term="水" label="水" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="流域" label="流域" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://theearthnews.jp/feature/">
        <![CDATA[<p>■人が水の循環に与える影響</p>

<p>水はさまざまに形を変えて循環する。大きくは地球を循環し、身近なところでは流域内を循環している。雨も地下水も河川水も飲み水も下水も一体の存在であり、現在と将来の動植物の生存に不可欠なものといえる。</p>

<p>人間の暮らしは水の循環に大きな影響を与えてきた。</p>

<p>人間は水の近くで暮らしてきた。川の近くにムラやマチができ、文明は発展してきた。現代に生きる私たちも川のそばに住んでいる。もっといえば水道は家のなかを流れる川だ。水道の蛇口から入ってきた水を使い、排水口から汚れた水を流す。さらには生産活動でも大量の水を使う。地下水を使い過ぎることもある。さらには農業排水や工業排水も水の循環に大きな影響を与える。<br />
　<br />
さらに、森が荒廃すれば、森の保水機能、浄水機能が弱まる。すると森が生み出す水の恩恵を受けていた動植物はこれまでのように水を得られなくなる。食料生産はもちろん大量の水を使う。化石エネルギーを大量につかって温暖化が進むと、水循環のスピードが早まり、雨が降らなくなる地域、雨が大量に降る地域が生まれる。</p>

<p>このように私たちは水循環の恩恵を受けながら生活し、量と質の面で水循環に負荷をかけている。人間の社会がある以上、負荷をゼロにすることはできない。だが負荷を極力少なくすることはできる。</p>

<p>水問題を解決するには、一つの問題だけを見るのではなく、より大きな視点が求められる。それぞれの問題は互いに関係し合い、問題を複雑にする。一つの問題の解決が、他の問題を引き起こすこともある。</p>

<p>陸上の水は自然形態として存在する分水嶺により区切られた集水域（流域）を単位に循環している。したがって、水の管理も流域を単位として行うのが自然だ。各流域は、自然的・社会的・歴史的条件が異なることから、水行政に関わる課題についてもそれぞれ重要度が違う。ダムが必要な地域もあるし、いらない地域もある。水利用や排水方法も地域によって適したやり方がある。</p>

<p>全国一律の基準による管理でなく、流域ごとに地域に適合した水政策や水管理を住民合意で作り出していくことができるといい。</p>

<p><br />
■流域ごとの水の専門家が必要</p>

<p>それには人が必要だ。水に関わる仕事をするすべての人が、流域の水循環という視点から、自分の仕事を見つめ直す必要がある。森を守る仕事、水道水を供給する仕事、下水を処理する仕事など、さまざまな仕事が「流域の水循環における自分の役割とは何か」と考えることで、仕事の再定義ができるだろう。</p>

<p>流域をベースにした組織にすることで、流域内の水の循環について総合的にマネジメントできるし、流域独特の問題について、課題解決の智恵の蓄積と共有ができる。政策も流域ごとで決めることになる。市民が水に関する政策を決めるテーブルに加わり、実際に活動していく。</p>

<p>日本では、これまで市民が水に関する施策について主体的な選択を行うことはなかった。問題が起きると国が決め、それが地域におりてきた。しかし、与えられた衣服は体にあわないことのほうが多い。</p>

<p>これからは行政、市民、専門家などが情報を共有しながら、流域や地域の実態に即して、住民自らが決定していく。共有資源に利害関係を持つ当事者が自主的に適切なルールを取り決めて保全管理をするというセルフガバナンス（自主統治）が必要なのだ。</p>

<p><br />
■流域文化圏の復活</p>

<p>流域文化圏が失われたのはさほど前のことではない。田中角栄元首相の列島改造とは、川による町と町の結びつきを断ち、地方の町を道路によって東京とつなげることだった。</p>

<p>それまで、ヒト、モノ、カネ、文化の流れは川とともにあった。そして１つの川の流れで結ばれた「流域」が生活圏と呼ばれるものだった。流域生活圏は、独自の方法で自立し、ユニークな文化を生んだ。</p>

<p>しかし、道路網が整備され、地方の町が東京と直接つながるようになると、川の道はしだいに消えた。流域沿い町のつながりはしだいに薄くなった。</p>

<p>ヒトとカネは町から東京へ流れ、モノと文化は東京から町へと流れた。若者は東京へ行き、地方には年寄りが残されました。街並や商店街は消え、幹線道路沿いにショッピングセンター、ファストフードチェーンができた。</p>

<p>地方の町は東京と道路でつながった結果、小さな東京になった。そして東京は世界中の都市とつながり、ヒトとカネは東京から世界中に出ていき、モノが世界中から東京に入ってくるようになった。入ってきた農業製品、工業製品は、東京を経由して、小さな東京の隅々にまで行き渡るようになった。</p>

<p>しかし、ヒトやカネは永久に出ていくわけではなく、モノや文化も永久に入り続けるわけではない。世界中から農業製品や工業製品が少なくなれば、モノの価格は上がり、いまのように潤沢には入ってこなくなるし、いままで売ってくれていた国々も簡単には売ってくれなくなる。</p>

<p>そうなると地方の町、東京、そして世界中をつないでいた道を行き来していたヒト、モノ、カネ、文化の流れは滞る。その流れはまったく消えることはないだろうが、カネによって他者に依存することができなくなれば、自分の力でなんとかするしかない。</p>

<p>そのときベースになる単位は流域となるだろう。水によって町と町が結びつき、ヒト、モノ、カネ、文化の流れが川とともにあった流域生活圏を復活させることこそが未来の選択肢の１つである。</p>

<p>「ライバル」（rival）の語源はラテン語で「小川」を意味するrivalisにあるという。水源確保から生まれた言葉で、同じ川の水の利用をめぐり争っているものがライバルである。世界各地で水不足が発生し、その一方で右肩上がりに水需要が増えているため、少ない水をめぐり、川の上流に位置する国と下流に位置する国とで奪い合いが起きるのではないかと懸念されている。</p>

<p>一方で、「流域」をbasinと表現することがある。「水を入れる器」という意味であろう。流域内を流れる、表流水、地下水などあらゆる水を共有財産として、流域の人々が責任をもって守るという意識であり、１つの水を共有するものが流域民である。流域民が手を携えて水を守り、生活を守り、流域を基本としたまちづくりが今後必要になるだろう。</p>

<p>これまで流域の水を守る方法をさまざま書いてきたが、都市生活者にできることもたくさんある。</p>

<p>まず、水を大切につかうこと。水使用が減れば、流域の水のあり方を変えてしまうダムはこれ以上つくらなくてすむし、水をきれいにするときに使う多くの電気や薬品も減らすことができる。</p>

<p>雨水は上手につかえば、洪水も防げる。汚れた水を家庭から流さなければ処理にかかるエネルギーが減らせる。</p>

<p>間伐材を積極的に利用したり、流域内でつくられた農産物を食べることも重要な応援となる。身近なところでは、食べ残しをしなければ、水にもエネルギーにもやさしい。いろいろな方法はたくさんあるけれど、1人1人が考え行動に移してくれるとうれしいです（終）</p>

<p><br />
文・写真／橋本淳司<br />
</p>]]>
        
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    <title>ナショナルむしグラフィック</title>
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    <published>2012-03-28T15:48:34Z</published>
    <updated>2012-03-28T16:18:11Z</updated>

    <summary>虫のこと、よおく見てみれば、大事なことがいろいろみえてくる。</summary>
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        <category term="地球と生物" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="ナショナルむしグラフィック" label="ナショナルむしグラフィック" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://theearthnews.jp/feature/">
        <![CDATA[<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/121"><u>むしむし探し隊が虫を食べちゃいました！</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/123"><u>「みのむしの唐揚げ」「蜂のバター炒め」虫の専門家に聞いた絶品虫レシピ</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/126"><u>「巨大グモ」「トナカイバエ」世界で食べられている驚愕の虫たち</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/127"><u>虫嫌いにはおしゃれな虫を！『mother dictionary』が提案するおしゃれ虫グッズ。</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/130"><u>いま、リアルな虫のアクセサリーがウケてます！</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/138"><u>後世に残したい、大切な虫の音</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/139"><u>世界一愛されているあおむし『はらぺこあおむし』</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/140"><u>東京を舞う、ホタルの光　１</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/141"><u>東京を舞う、ホタルの光　2</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/147"><u>日本一長い歴史を持つ昆虫専門博物館「名和昆虫博物館」を訪問！</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/756"><u>池田清彦先生の虫捕りに密着 in 屋久島！</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/912"><u>東京の山手線内で虫探し！</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/1007"><u>リュウキュウアサギマダラとカミキリムシの標本をつくる</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/1196"><u>秋ヶ瀬公園で昆虫観察会</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/1221"><u>標高2000メートルの山上で虫を見る</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/1287"><u> 声は聞こえど、姿は見えず</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/1376"><u>昆虫標本は貴重な学術資料</u></a></p>

<p><a href="http://theearthnews.jp/#!/contents/1441"><u>あら不思議。１枚の紙が虫になる！</u></a><br />
</p>]]>
        
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    <title>「ナショナルむしグラフィック」あら不思議。１枚の紙が虫になる！</title>
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    <published>2012-03-28T15:48:33Z</published>
    <updated>2012-03-28T16:14:38Z</updated>

    <summary>――「立体切り紙工作」のすすめ</summary>
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    <category term="昆虫" label="昆虫" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="鍋島通弘" label="鍋島通弘" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://theearthnews.jp/feature/">
        <![CDATA[<p>3月3日、鍋島通弘さんの「むしの切り紙工作教室」（NPO法人むしむし探し隊主催）に参加しました。<br />
切り紙工作とは、その名のとおり、紙をハサミで切り、指で折って、立体の造形物を作ること。講師の鍋島さんは、主に昆虫や甲殻類を作っているそうです。その作品を見ると、リアルさに仰天しますが、それらはすべて１枚の紙から作っているというからさらに驚かされます。<br />
鍋島さんは、立体切り紙作家として、ワークショップや工作教室を開いているほか、作品をさまざまな展示会に出品しています。3月17日に放映された「ぶらり途中下車の旅」（日本テレビ系）で、葛西臨海公園駅に展示されている海の生き物の切り紙工作が紹介されましたが、それらも鍋島さんや彼の切り紙仲間たちの作品です（鍋島さん本人も少し出演されていました）。</p>

<p>さて、当日、20名ほどの参加者にまず配られたのは、A４サイズのコピー用紙にチョウの輪郭線が印刷されたもの。このコピー用紙に、各自好きな色の画用紙を重ね合わせて、輪郭線が左右線対称になるように２つ折りにします。画用紙がずれないようにホチキスで止めたあと、輪郭線をハサミで切っていきます。<br />
やってみるとこれが意外とむずかしい。細かくハサミを動かすなんて動作は、大人になってからはやったことがないから、手が思うとおりに動いてくれないのです。<br />
「ハサミを動かすのではなく、紙のほうを動かすとうまくいきますよ」<br />
　と、鍋島さんは、アドバイスしてくれるのですが......。<br />
　小学生の女の子は、手こずる大人たちを尻目にあっという間に切り終えました。<br />
　年配の男性は、苦戦をしていますが、「これは脳トレになるね」と、楽しそうに切っています。<br />
ハサミの形によって切りやすい切りにくいのがあるのかとも思いましたが、鍋島さんによれば、「使い慣れたハサミであれば、なんでもよい」とのことです。</p>

<p>輪郭線を切り終えると、チョウに似た型が切り抜かれますが、これではまだ完成ではありません。輪郭線の内側に引かれている山折り谷折りの線に従って画用紙を折っていきます。画用紙からコピー用紙をはずさず、重ねたまま折るのがコツです。胴体のお腹のところは、細かく蛇腹に折ります。最後に、翅が浮かないように翅のつけ根と胸部を木工用ボンドでとめて完成です。<br />
参加者のみなさんの作品を見てみると......、お尻が上を向いているもの、足が前に出すぎているものなど、同じ型紙で作っているわりには、みな少しずつ形が違います。一頭として同じものがない、という点では、まさに本物の虫と同じです。</p>

<p>　チョウは、ほんの初級編で、これからいよいよ上級編に入ります。<br />
　上級編として鍋島さんが用意してきたのは、クワガタとカブトムシ。カブトムシのほうが「より難易度が高い」という言葉に刺激され、あえてカブトムシを選んでみました。<br />
　カブトムシもチョウと同じように作るのですが、脚の節までリアルに再現するため、切るのも折るのも、より細かい作業が必要になります。脚を折りながら、「そういえば、確かに本物のカブトムシはこんな脚をしているな」と気づかされます。本物の虫ではなく、切り紙工作の虫をとおして、虫の体の構造を教えられるとは思いもよりませんでした。<br />
　もうひとつ難しい点は、カブトムシらしい厚みと丸みを出すこと。鍋島さんの作ったカブトムシは、プリプリとして今にも動き出しそうですが、私の作ったものは、平べったいゴキブリのようになってしまいました。</p>

<p>　今回は、工作教室ということで、コピー用紙の型紙が用意されましたが、実は、鍋島さんは、いつもは型紙など作らずフリーハンドで紙を切っていくのだそうです。<br />
「頭の中にリアルな虫を思い浮かべて、ハサミを鉛筆がわりに動かしていくんです」<br />
　鍋島さんが切り紙工作をはじめたのは中学生のとき。テレビで名人がやっているのを見て、自分もやってみたくなったそうです。<br />
　虫は子供のころから好きで、今も自宅近くの手賀沼に出かけては、虫を観察したり、写真を撮ったりしているとのこと。<br />
「リアルな虫をよく見ている人のほうが、うまく作れますね」<br />
私も、いつかはフリーハンドで作れるように、日ごろからよく虫を観察しようと思いました。</p>

<p>・鍋島通弘さんのHP「なべさんの切り紙創造堂」　<a href="http://nabesankirigami.blogspot.jp/" target="_blank">http://nabesankirigami.blogspot.jp/</a><br />
・NPO法人むしむし探し隊　<a href="http://www.64tai.com/" target="_blank">http://www.64tai.com/</a>　※鍋島さんの作品も販売予定。</p>

<p>大塚真（NPO法人むしむし探し隊　隊員）</p>]]>
        
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    <title>ワールドシフトへのつながり</title>
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    <id>tag:theearthnews.jp,2012:/feature//6.1440</id>

    <published>2012-03-28T14:25:45Z</published>
    <updated>2012-03-28T14:41:50Z</updated>

    <summary>VisionaryPeopleに聴く&quot;放送作家、谷崎テトラさん</summary>
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        <category term="人と社会" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://theearthnews.jp/feature/">
        <![CDATA[<p>──　谷崎テトラさんは、放送作家として非常に幅広くの環境関連の活動に関わり、今は、「ワールドシフト」という団体で野中ともよさんとともに代表をされています。今年開催される「リオ＋20」への活動でも「地球サミット2012JAPAN」の副代表として活動をされています。世界の多くの人と つながりながらここまで来たと思うのですが、ここまでの道のりと今の活動についてお聞かせください。</p>

<p><br />
僕は、今、テレビ、ラジオ番組の放送作家をしています。ある意味で、ずっと20年前からつなぐ人をやってきたともいえます。放送作家は番組の企画を考えて台本を書き、つなぐわけですけども、キーワードを見つけ、それに関するキーパーソンに会いに行き、それでその人たちをメディア化していくのですね。すると、その人のところに情報も集まってきます。</p>

<p>僕は、日本初の「マルチメディア構成作家」という肩書きですが、それは、すべてのメディアに情報を提供していくという意味です。ワンソースマルチメディア、自分が伝えたい何か一つのテーマを、マルチに流していく。テレビ番組やラジオの番組、ビデオ、ＤＶＤを作って、シンポジウムも開き、まあ一つのソースをマルチに見せていくということですね。マルチメディアとは、今のように、コンピューター関連の技術のことではなく、1960年代のロックコンサート、グレイトフルデッドというバンドが始めた、音楽の演奏だけじゃなく、映像もスライドもやるし、イベント自体も一つのメディアにするという概念が、最初かと思います。</p>

<p><br />
最初の僕のキャリアは、ある大手の電機メーカーで、マーケティングのプロジェクトを担当したのが最初です。1989年、家電業界でブランディングすることの草分けだったと思います。当時は、家電製品は白物家電ばっかりなのですけど、学生たちのニーズを調査して、それにマッチングするものを商品化した。今では珍しくないのですけど、それぞれの関連企業をまとめ、事業部、工場、宣伝部は横串にしていく「つなぐ人」でした。その後、この経験を生かして、トレンドのブームウォッチャーのような仕事から、テレビ番組の構成で、今どんなものが流行っているのかリサーチして、そこから構成作家の仕事に入りました。</p>

<p><br />
環境関連に触れたのは、1995年にインド、アフリカ、それからアマゾン、南米の旅をしたのが、大きなきっかけです。旅の詳細は割愛しますが、結果から言えば、帰りの飛行機に乗っている時は、行きの飛行機の自分はと全然違う自分になっていることに気づきました。旅の前には、僕はお笑い番組だとか、ファッション番組などに関わっていたのですが、旅から戻ってからは、そういうエンタメ番組に関わるような気持ちになかなかなれなかった。インドで、初めて目にした貧困の人たち、アフリカで初めて見たサバンナの自然、マサイ族の人たち、それから南米のアマゾンで見た圧倒的な生物多様性、と同時に森林が伐採されていく現場。僕自身は、先住民のケロ族からイニシエーション（洗礼）も受けているのです。彼らは、地球のことをパチャママと呼び、自分たちの父母はパッチャママだと言います。大地そのものが神様なのですが、僕はそのパチャママの声を聞いたのです。その声を聞いた上で、どういう仕事なら納得して出来るかと考えたのです。 </p>

<p>1995年に帰ってきて、その時に1997年には「地球温暖化防止（気候変動枠組条約＝ジアスニュース編集局）」への京都会議、COP3があることを知りました。これを取材していこうと考え、96年以降エコ番組に関わり、僕自身も企画するようになりました。テレビ朝日の「素敵な地球船地球号」とか、「PEACE ON EARTH」、「ハミングバード」「EARTH RADIO」、「ワールドシフト」などの、地球もしくは平和関連の番組。「ap bank radio」とか、環境に関しての番組にずっと関わっています。</p>

<p>お笑いエンタメ番組のときに比べると、収入はかなり減ったけれども、充実度は10倍以上あります。なぜならば、自分の体験のユニークさに気づいて、自分の役割へのこだわりから自信を持って仕事をすることが出来るようになったからです。自分の仕事は、ＮＰＯ、ＮＧＯで頑張っている人たちを応援し、そのことを伝え広めることだと考え活動していました。</p>

<p>2005年「愛地球博」がピークで、その頃からものすごく忙しくなり始め、エコ番組を作っていた僕が、だんだんメインカルチャーに出てきた。因みに、僕自身が、最初のＮＰＯ活動で関わったのは「地球温暖化防止レインボーパレード」。それから、2000年に「アースデイ」を立ち上げました。「虹のまつり」「いのちのまつり」「カーフリーデー」「Be Good Cafe」、雑誌も昔は「スタジオボイス」などのカルチャー誌に書いていたのですが、「ソトコト」の立ち上げの頃に関わり、そうした紙面を通じて"パーマカルチャー""エコヴィレッジ"を伝え、"地域通貨"などの現場にも入っていきました。 </p>

<p>そして、また転機が訪れます。それが、2008年～10年、その辺りで僕の次のシフトが始まりました。それが「ワールドシフト」です。「つなぐ」というのが、今日のキーワードですが、僕から言うと、「もうつながっている」のです。それに気づくってことですよね。その「つながり」は、人と人とをつなぐだけではなく、人と自然のつながり、命と人のつながりです。</p>

<p>単純に、ソーシャルアクションを起こすために、みんなつながろうというのではなく、ここからは見えない貧困層の人たち、切られている森のこと、そういう「ここにつながってない人」とどうつながっているのかっていうことに気付く。逆接に聞こえるのだけど、「つながってない人」とつながるということは、実はわれわれは「つながり」の中で生きているし、つながりの中で生かされていることに気づくことのです。</p>

<p>自然や、経済や、社会の中でのつながりも全部関わってきます。2010年に、僕は環境番組ではなくて「ワールドシフト」、つまり文明そのものの転換っていうことをテーマに「ワールドシフト・ネットワーク・ジャパン」というＮＧＯを立ち上げたのです。「ワールド」と「シフト」という言葉の間に、スペースはありません。「ワールドシフト」というのは、一つのキーワードです。それぞれの人が、すべての人が等しくこの文明、20年後、50年後、そして23世紀のことまで考えようと語っています。</p>

<p>この「ワールドシフト」のアイコンは、上と下にそれぞれ四角があり、それを矢印が結んでいます。上の四角は、「今ある現状の問題」、そして下は、どういう形にそれを変えて行くかという「シフト後の世界」、ここの矢印は、「ソリューション」です。これは、メディア、イベント、テクノロジー、政策提言、地域、コミュニティなのか、それはそれぞれの立場で出来ること。「つなぐ」という意味では、アイコンを作ったところで、僕の活動は終えていると思います。このアイコンを見て、ピンと来る人は、自分だったらここに何を入れるのだろうかと考え、自分事になっていきます。直感的に「ワールドシフト」を、捉えていただくためには、webでの映像をご覧になっていただきたいのです。</p>

<p>この映像は、みなさん見たことあるかもしれませんが、アポロ８号が撮影した「地球の出」と言われている映像です。僕はいろいろなところで講演をするのですが、一番最初に「地球」の映像を必ず見るんですね。それは、どんな地域の問題であっても、メディアの問題であったとしても、まずこの「惑星」ということを意識するところから始めたいというのが、僕のメッセージだからです。最初に月に着陸したのはアポロ11号がですが、アポロ８号は最初に月に到達し、月の周りを周回して帰ってきた宇宙船です。出発したアポロ８号は、月に到達してぐるっと周って、反対側から出てきた時に、ちょうど月の地平線から「地球」が昇る映像になったわけです。「日の出」じゃなくて「地球の出」、「サンライズ」じゃなくて「アースライズ」なのです。</p>

<p>この映像を1968年、メディアが一斉に称えました。ここから始まったのです。メディアを通じて映像が伝わって初めて、この「地球」の姿を、みんなで認識しました。最初の宇宙空間に飛んだ人は、ガガーリンなのですが、地球の昇るこの姿を見たのは、これが初めてだったのです。僕が言いたいのは、僕たちは、歴史的に特殊な時代にいることを、認識したいと思うんです。若い人は、自分が気づいた時にはこの映像を見た経験があり、この映像が当たり前で、何も驚きもない状態かもしれませんが、これは本当に驚くべき映像ということを、もう一回意識したいのです。撮影されたのは1968年ですから、50年経ってないのですよ。</p>

<p>第二次世界大戦では、広島と、長崎と原爆に落ちましたけれども、あの時戦争をしていた当事者は、誰もこの映像を見たことないのですよ。彼らは青い地球を見たことがなくて、地図上の平面の中で、国と国が地図分けされている、その観念の中で戦争をしたのです。1968年、この時、ベトナムでは戦争が行なわれていました。同時に、世界で公害問題が表面化していました。私たちは、人類の10万年の歴史の中で、たった50年前に起きたことの地球意識への転換。われわれ世代の役割は、それを表現していくことなのです。「ワールドシフト」の根幹にあるのは、こうした神秘です。アポロ８号は、12月の24日、クリスマスの日の「地球の出」の映像を見ながら、クリスマスの祈りを捧げ、宗教的な言葉、聖書の一節を読んだのですが、キリスト教の神を超えて、「神秘」という印象を強く地球上の人が共有したと思うのです。</p>

<p>その15ヶ月後に、世界最初の環境運動、世界的な環境運動である「アースデイ」がはじまります。「アースデイ」は、1970年の4月22日、一人の学生が始め、全米の様々な人たちをつなぎ、そして全世界の人につないでいきました。「父の日があって母の日があるのに、地球の日がないっておかしいよね」と4月22日、何でもない日ですよね、その何でもないただの日曜日なのですけど、「その日を地球の日と呼ぼう」とデニス・ヘイズという学生が呼びかけ、全米の学生たちが「地球の日」というコンセプトをシェアして、地球の日が始まりました。そのきっかけになったのも「地球の映像」なのです。</p>

<p>アースコンシャス、地球のことを感じる意識というものをアースコンシャスと言いますが、地球人としての意識として"アースリング"という呼び方もあります。ホモサピエンス、ヒューマンビーイングに対して"アースリング"という言葉、これは、「エイリアン＝宇宙人」に対して「地球人」という意味で、ハインラインというＳＦ作家が使ことで、"アースリング"という地球意識が生まれたとも言えます。これは、人類のアイデンティティの拡大だと思うのです。</p>

<p>400年前の戦国時代には、関西と関東が10万人と10万人で殺し合いをしたのですよ、関が原で。彼らは必死でしたよね。今は、例えば富士山は山梨県のもの、いや静岡県のものと争ったりしませんよね。そんな過去の例を、僕たちは笑うことができるのだけれども、尖閣諸島で、今だってどっちの国に属するかを争ったりしていることは、現実に起きているのです。アースリングの意図するところは、それを超えて、地球人としての意識が拡大し、国と国を超えた新しいアイデンティティが地球の皆に獲得されることなのです。</p>

<p>この概念を、バックミンスター・フラー博士が、宇宙船地球号という言葉にしました。先ほどの「地球の出」を見たときは宇宙船から見ているのですが、宇宙船と同じように、向こうにある地球も一つの宇宙船なのだという考え方ですね。つまり、アポロ８号は2週間の旅をするために２週間分の食料と水とエネルギーを積んで行くわけです。食料、エネルギー、水を使い果たしたら、デッドエンドですが、あの惑星、地球も宇宙船で、閉じた生態系にあり、あそこにある資源、食料、水、そういったものをすべて枯渇させてしまったら、そこには住むことができない。しかし、地球という惑星は、その中で水と空気と食べ物を、循環させて回っている「宇宙船」なんだよということを、バックミンスター・フラーは、「宇宙船地球号」という言い方で表したのです。フラー博士の「宇宙船地球号操縦マニュアル」という本には、宇宙船地球号には、乗客はいないと書いてあります。つまり宇宙船には、クルーがいるけれども、飛行機、新幹線の乗客のように、サービスを受けるだけの人はいない。宇宙船では、「すべての人が何らかのミッションを持っている、すべての人に役割がある」が、宇宙船地球号のメッセージなのです。 </p>

<p>ラブロック博士は、文字どおり「地球は比喩ではなくて、生命体で、地球は生きている」と語り地球＝ガイア説を唱えました。生物と環境の相互作用の恒常性という言い方をしていますが、この地球が、生命のような立ち居振る舞いをしていること、これも"アースリング"です。1972年に、「成長の限界」という「ローマクラブ」の人類の危機レポートが出ました。現在のまま、人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇や環境の悪化により、100年以内に人類の成長は限界に達するというレポートです。このまま化石燃料を使い続けると、地球が温暖化する可能性があるという指摘にも、当時は「そんなことがあるわけがない」といわれました。</p>

<p>しかし、IPCCの温暖化の調査では、「成長の限界」に書かれている数値とほぼ同じ数値で推移していると言われています。これらを、ラブロック博士は、「ガイアの復讐」と言っています。人間のからだは、調和を崩すと、どこかの臓器で細胞が、周りの細胞のことを無視して増殖し続けていきます。このガン細胞が蔓延すると、その生体そのものが、生きてられなくなって死んでしまう。まさにラブロック博士というのは、人類はガン細胞と、同じようにどんどん増殖して、周りの木を切り、大気の組成を変えてしまい、最終的には自分たちも、そこに住めないところまで行ってしまうんだよと、言っています。地球という生命体は、他を無視して極端に増えているこの人類を、殺すために発熱しているんじゃないかと、ラブロック博士は2006年、ある談話で発表しました。</p>

<p>彼は、何10億という人が死んでしまい、気候的に耐えられるのは極地だけということを言っています。それは、気候変動によって起きるそのことを「ガイアの復讐」と呼んだのです。ガイアの一晩は約10万年ですが、これから10万年地球は、熱を出して人間というウイルスを減らすのではないかと言っています。このコメントには世界中の環境団体の人ですら「私たちはウイルスじゃありませんよ」と言ったぐらい、衝撃的な発言だったのです。 僕は、化石燃料の枯渇に対して、大変な危機感を持っています。</p>

<p>「化石燃料がなくなったら、電気自動車にすればいいや」と考える人は多いのですけれども、まあ化石燃料が枯渇することは、今の経済の仕組みが、全く破綻することなのですよ。それがものすごい早いスパンでそこに迫ってくる。例えば太陽光パネルとか風力発電が、いくら素晴らしいとしても、化石燃料が枯渇してしまった時に、本当に太陽光発電の電池で太陽光発電のパネルが作れるのかということですよね。化石燃料があるうちに、インフラを整えなければいけないという危機的な状態にあるのですが、ほとんどの人はまるで考えてないかのように真剣に取り組んではいない。</p>

<p>世界の地質学者100人に「化石燃料の枯渇」の時期を尋ねた記録が、国連大学のアワーワールド2.0に載りました。ほとんどの学者が2010年～20年の、この10年にピークを迎えるという回答です。ダラスの石油学者のジェフリー・ブラウン博士は、ピークオイルを迎えてから石油の湧出量がゼロになるまでの期間は、最大で9年と言っています。あっという間なのですね。大変なハードランディングの可能性を示唆している。化石燃料は、10万年の歴史では、本当に一瞬にして掘って、一瞬にして消費して、消えて行くのです。</p>

<p>人口は、70億人に膨らみ、この仕組みで養えるのかという大きな問題。もっとも権威のある国際エネルギー機関、ＩＥＡＥがこのピークオイルを予測し、「在来型の石油の生産量は、2006年にピークを迎えた可能性が高い」と2010年の11月9日、オーストラリアのウイーンで発表しました。しかし、このことの重要性は、ほとんど伝えられていません。2007年にデニス・メドウズ博士への取材で、僕もそのことを聞いたのです。原油価格は2008年の7月に147ドルまで高騰します。2006年のピークオイルは、2007年の世界金融危機につながりました。世界で、石油の価格が上がり、石油が高くなったまま高止まりするシナリオは、まったく描けてなかったので、それをきっかけに金融界はパニックに陥るわけです。</p>

<p>環境問題は、環境問題だけではなくて、社会問題、経済問題、もっと言えば金融の問題でもあるわけです。 僕がエコ番組を作り始めたときには、「地球に優しいことをしよう」という善意から始めたわけですけれども、もうそんな問題レベルではなく、経済や金融そのものを変え、資本主義そのもののあり方を、もう一回見つめ直さなきゃならないところまで来ているのです。文明そのものの転換を、真剣に考える仲間を作らなければいけないという危機感を僕は覚えました。</p>

<p>この2007年の危機を受けて、「成長の限界」の編集チームで編集長的な役割を果たしたアーヴィン・ラズロ博士が、リーマンショックの直後に、ロンドンで会議を開き、ロンドン宣言の中で「ワールドシフト」を呼びかけます。「世界は危機的状況にあるが、世紀末感や恐怖を煽るのではなくて、文明そのものをシフトする時なのだ」と宣言したのです。僕は「ワールドシフト」とは何かという質問をし、同時にそれはなぜ今必要なのか。博士は、「『ワールドシフト』とは発展の方向性を変え、新たな方向へシフトすることだ」と返答しました。</p>

<p>現在の方向では、危機を生むばかりで持続可能なものではない。富は限られた人だけに集中し、貧困は広がっていく。雇用、教育、エネルギー問題、様々な問題が、今の状態では持続不可能で、70億の人口は養うことは出来ない。世界は、環境、経済、社会という三つの危機的状況にある。危機そのものの数は100以上あるそうですが、資本主義、グローバリゼーション様々な要因が絡まり、社会そのものが危機的な状況にある。格差による貧困問題も、看過できる容量を超え、この三つの危機が、すべて複雑に関連し合っていて、どれか一つだけで解決することは、大変難しい。環境の問題のほとんどは、経済的な問題で解決できるとも言われますが、経済の問題は、社会の仕組みの問題で起きているとも言われています。</p>

<p>それぞれの個別の答えを、つながりで理解し、問題の解決に取り組む。そのためには、今のままの文明は持続不可能であることを認識し、持続可能な文明にシフトする。今、本当に転換点で、将来への「ブレークスルー」の道に行くか「ブレークダウン」の道に行くか、二者択一の選択の時期なのだっていうことを、ラズロ博士は言っています。今のままの社会の仕組み、制度が続いていく限り、ブレークダウンのシナリオに行ってしまう。持続可能な社会を作るには、シフトが必要なのですね。今とは違う方向性に、シフトしなければいけない。持続可能のためにシフトは、政治、メディア、農業、エネルギー、すべての分野で必要になってくる、とラズロ博士は言うのです。</p>

<p>博士は、今すぐに、行動を起こすことで、われわれの新しい思考や新しいツールは、最悪の時代のシナリオを回避して、新しい世界の出現を加速することが出来るといっています。しかし、どんどん後に行けば後に行くほど、危機的状況は高まっていく。完全に砂漠になってしまった所をいきなり森に変えるってことは出来ないのです。「ワールドシフト」というのは、平和で持続可能な社会を作るために必要な変革です。人類文明の発展のありかたを根本的に変えること、そのために一人ひとりがシフトして行動することです。</p>

<p>僕は、2012年6月開催予定の「地球サミット」は、ワールドシフトへのチャンスとして捉えています。70億の人たちが、地球の未来について考える国連最大級の会議、「地球サミット」が10年ぶりに行われるのです。この10年ぶり三回目の「地球サミット」は、過去のサミットとまったく違う展開になると期待しています。この10年間で、世界はまったく違うものになりました。ツイッター、フェイスブックなどに象徴されるソーシャルメディアが、この10年間で、一斉に立ち上がってきたのですね。「地球サミット」へ、ソーシャルメディアが「つながり」を世界的にもたらす時代になってきました。</p>

<p>地球サミットの会議そのものは、世界200カ国あまりの首脳が集まって、未来をどうするかに向けて合意文書を交わすことです。その合意文書のタイトルが、「The Future We Want」です。これから６月に向けて、内容がつまっていくのですが、タイトルは決まりました。私たちがどんな未来を望んでいるのかを、世界180カ国以上の首脳やメジャーグルークといわれるそれぞれの立場のセクターがやってきて、おそらくリオ・デ・ジャネイロの会場には10万人の市民が集まると言われています。</p>

<p>それと同時にソーシャルメディアによって、国連で初めてですが、一人ひとりの市民に議題を提案や参加を求めています。この議題すら、われわれは提案することが出来た。ゼロドラフトという原案には、去年の11月1日までに、誰もが意見を入れることが出来たのです。その情報は伝わっていなかったために、一部のＮＧＯしか発言していません。僕らも、「地球サミット2012ジャパン」という有志の団体を作って、「フューチャー・ウィー・ウォント」のためのゼロドラフトに、意見を入れました。地球サミット2012というのは、われわれが作るのだということです。強調したいのは、1992年の地球サミットは、国際的な首脳会議だったが、2002年の二回目の地球サミットは、首脳会議に市民セクターが加わった。今度は、「地球サミット3.0」というべき、そこに一般の市民も加わる展開になるということです。</p>

<p>今までなかった、70億の人類が、共につながるというサミットが開かれようとしているのです。まさに、このタイミングで、つながる理由があり、つながるチャンスがあり、つながる必要があるのです。僕たちはThefuturewewant.jpというウェブサイトを立ち上げ、それぞれが、100文字の提言をすることが出来るソーシャルメディアのツールを作りました。ＮＧＯなどが提言していただいているのですけれども、その提言に、Yes／Noを書き込みが出来るし、自分の提言を入れることも出来ます。徐々に、何かが起り始めているなということを知った人が、市民の声として参加してくれることを期待しています</p>

<p><br />
聞き手・文／森一彦（ジアスニュース）</p>

<p><br />
■プロフィール<br />
谷崎テトラ<br />
ワールドシフト・ネットワーク・ジャパン代表理事、地球サミット2012Japan副代表<br />
構成作家。小説家、音楽プロデユーサー、環境＆メディアコンサルタントなど、様々なソトコトでのライター、雑誌の編集ではエコ雑誌「ソトコト」での執筆のほか、エコヴィレッジの取材、環境デザイン体系であるパーマカルチャー、地域通貨の紹介など、持続可能なコミュニティを様々なメディアで紹介している。2005年愛知万博では地球市民村・オーガニックカフェの会場音楽を構成。１２月からBS11のエコ番組「地球グッドニュース」などにも出演が決定している。<a href="http://www.tfm.co.jp/podcasts/worldshift/">ワールドシフトラジオ</a>（TOKYO FM、FM福岡、AIR-G、岐阜FM）でのパーソナリティをつとめる。愛知県立芸術大学非常勤講師。今年の、RIO+20＝地球サミットを国や国連の場だけではなく、ふつうの市民が参加できる、開かれたプロジェクト「地球サミット3.0」をイメージし、Future We Want（2012地球サミット、国連キャンペーン）で、ソーシャルメディアと連携を呼びかけている<br />
</p>]]>
        
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    <title>流域内でFEWを地産地消する</title>
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    <published>2012-03-28T01:00:00Z</published>
    <updated>2012-03-27T15:48:34Z</updated>

    <summary>水の流れに注目し持続可能なコミュニティーを復活させる（9）</summary>
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        <![CDATA[<p>■食料生産には水が必要</p>

<p>流域内では、食、エネルギー、木材、そして水の地産池消を目指すとよい。それぞれの頭文字をとるとFEW（food、energy、wood、water）となるが、これらは相互に密接な関係にあり、バランスを考えてみると、今後の方向性が見えてくる。</p>

<p>これまで木と水の関係については触れたが、水とエネルギーも大いに関係する。</p>

<p>たとえば、浄水場で水をきれいにするにはたくさんのエネルギーが使われるし、たくさん石油をつかうと温暖化によって水の循環が乱れる。日本全国で水道にかかるエネルギーは年間150億キロワット時で、原発2機ぶんが生み出すエネルギーとおなじ。その点、緩速ろ過はいきもののはたらきによって、小さなエネルギーでおいしい水をつくる。そもそも水源が汚れてから浄水処理するのではなく、水源を大切にするほうが、エネルギーはかからない。</p>

<p>食と水についていえば、食料生産に水は欠かせない。日本のカロリーベースの食料自給率は40％。食料を輸入するとは間接的に水を輸入することであり、その量は年間640億トンにのぼる。</p>

<p>ところが輸入相手国の水は不足している。アメリカ中西部には「世界のパンかご」と呼ばれる大農業地帯がある。ここにはオガララ水系という世界最大級の地下水脈が南北に走っている。これまで地下水を汲み上げて農業生産を行ってきたが、枯渇が心配される。</p>

<p>牛肉生産地であるオーストラリアでは、水が高価で貴重な資源となったため牛の飼育を止め、水をあまり使わなくても育ち、利益率の高いオリーブなどの作物に転換しはじめた。</p>

<p>今後水不足が進むと、これらの国から、いままでと同じように食料を輸入することはできなくなるだろう。</p>

<p>では日本が食料自給率を上げようとしたらどうなるか。国内の食料生産に用いられる水は年間約570億トンあまり。食料自給率を50％にしようとすると年間140億トンの農業用水が追加で必要だが、これだけの水は日本にない。</p>

<p><br />
■循環利用で食の自立を図る</p>

<p>したがって流域内の水の保全と効率的な利用を考えるべきだ。</p>

<p>これまでは農業集落排水（生活排水）処理水や使用した農業用水が、河川に放流された。今後は、農業集落排水処理水を農業用水に利用する。稲作等に用いた水も浄化して農業用水に再利用する。農業排水中には肥料などから溶け出した高濃度の養分が含まれており、これが水質悪化の原因となっていた。</p>

<p>しかし、排水を利用して別の作物を育てることができる。養分が必要な作物からさほど栄養分の必要としない作物へと水を循環させる。世界的には、下水処理水が食料生産につかわれるケースもある。ペルーのリマでは処理済みの下水でティラピアを生産している。インドの東コルカタ湿地では、養殖場や野菜畑で独自の下水再利用システムを採用している。下水に含まれる養分で魚や野菜を育て、その後の水をインド洋に流すため、水質改善にも役立っている。</p>

<p>水は一度使ったら終わりというものではなく、何度も繰り返し使えるものなのだ。</p>

<p>農作物を育てた水は河川に流されていた。農業排水中には肥料などから溶け出した高濃度の養分が含まれており、これが水質悪化の原因となっていた。特に化学肥料に含まれる窒素やリンは、植物プランクトンのえさとなり、赤潮など大量発生の原因になる。</p>

<p>でも考えようによっては、この水は養分を含んだ水であり、次の畑へと流せば、そこで別の作物を育てることができる。養分が必要な作物の畑からさほど養分の必要としない作物の畑へと流し、水を2次、3次利用するわけだ。</p>

<p>その過程で水に含まれていた窒素やリンはどんどん減っていくので、河川に流れ出ても、自然に与える影響は少なくなる。私たちは普段きれいな水を使い、１度使ったら、そのまま流してしまう生活をしている。でも水は繰り返し使える。水を繰り返し使う生活が当たり前になれば、こうしたアイデアはもっと出てくるだろう。</p>

<p><br />
■山間部で小規模水力発電を</p>

<p>水とエネルギーについて言うと、山間部はエネルギーの宝庫でもある。小水力発電は、水流の小さな落差や農業用水路で水車を回して電気を起こす。日本は山国であり、山に降った雨は勢いよく流れる。</p>

<p>明治時代に来日したオランダの治水技術者デレーケは、富山県の常願寺川を見て、あまりの流れに早さに驚き、「これは川ではない、滝だ！」と言ったという。日本の地形は急峻で、川の流域が狭く、勾配が急なのが特徴です。これは小規模水力発電を行うには非常に適した地形だ。</p>

<p>1889年、電話の実験を成功させたグラハム・ベルが日本の帝国ホテルで講演をし、</p>

<p>「日本を訪れて気がついたのは、川が多く、水資源に恵まれているということだ。この豊富な水資源を利用して、電気をエネルギー源とした経済発展が可能だろう。電気で自動車を動かす、蒸気機関を電気で置き換え、生産活動を電気で行うことも可能かもしれない。日本は恵まれた環境を利用して、将来さらに大きな成長を遂げる可能性がある」</p>

<p>といっている。</p>

<p>日本は雨の多いアジア・モンスーン帯に位置し、その日本列島には雨を集める装置の脊梁山脈で覆われている。ベルは日本列島の気象と地形を見て、水力エネルギーの宝庫であることを見抜いたのである。</p>

<p>伊豆市湯ケ島の温泉街を流れる狩野川上流部の老舗旅館の敷地内に、東電系の「東京発電」が運営する落合楼小水力発電所がある。この施設は新しいものではない。1962年に旅館の自家発電用に設置されたもの。川の水を川べりの導水路に通し、タービンを回して発電する。出力100キロワット時の電力量は一般家庭約200軒分に相当する。</p>

<p>最近では効率の高いタービン発電機が開発されていて、わずかな落差、小さな流れでも大きなエネルギーを生むことができる。高低差を利用して送水する既存の水道施設を活用できる上、二酸化炭素（ＣＯ２）などの温室効果ガスの排出抑制にもつながる新たな発電方式として、温暖化対策に取り組む自治体を中心に注目を集めている。</p>

<p>川崎市水道局の鷺沼配水池には、小水力発電機が導入された。６キロ離れた浄水場から13.5メートルの高低差を利用して流れてくる飲料水が発電機の動力である。既存の送水管に取り付けたバイパス管を流れる水を発電に利用するもので、出力は90キロワット、一般家庭なら30～40世帯分を賄える出力に相当する。鶴見川近くの住宅地のなかにも上水道を利用した小水力発電がある。川崎市南部の37万人に供給する日量８万トンもの水を通している直径1.5メートルの送水管に発電機を取り付け、電気をつくっている。</p>

<p>2011年には東京都の長沢浄水場でも流水式の称す力発電機が試験導入された。これは落差のない水路を流れる水でも発電できるタイプで、従来の水力発電の設置工事のような多大な工事費用は不要。設置工事自体も短期で完了できるため、低コストで 設置することができる。</p>

<p>小水力発電機を設置しようとすると水利権の問題に直面することがあるが、水道局の設備のなかに設置するのであれば問題ない。</p>

<p>流域内でFEW（food、energy、wood、water）の地産地消を模索することによって、持続可能なまちづくりのアイデアが出てくるのだろう。</p>

<p><br />
文・写真／橋本淳司</p>]]>
        
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    <title>地下水を守り、農を育む</title>
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    <published>2012-03-27T23:39:40Z</published>
    <updated>2012-03-27T15:43:48Z</updated>

    <summary>水の流れに注目し持続可能なコミュニティーを復活させる（8）</summary>
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        <![CDATA[<p>■地下水涵養量を増やすしくみづくり</p>

<p>各地の自治体で地下水のくみあげを規制するルールづくりが進んでいる。不透明な土地取引、それにともなう無秩序な揚水を懸念してのものだ。</p>

<p>だが、規制するだけでは、減ってしまった地下水を増やすことはできない。流域全体で地下水を育むしくみが求められている。</p>

<p>「水どころ」として知られる安曇野市。</p>

<p>2011年12月、市の地下水保全対策研究委員会で、座長を務める藤縄克之・信州大教授（地下水学）が「市の地下水が年間600万トン減少している」と発表した。</p>

<p>根拠としたのは、1986年と2007年の2度にわたって実施された地下水位調査。データを基に地下水位の「等高線」を引くと、86年に比べて07年の水位は明らかに下がっていた。</p>

<p>失われた水量は21年間で1億2500万トンに上ると推計。限られたデータに基づくとはいえ、市内の地下から毎年、東京ドーム5杯分の水が失われているという数字が示された。</p>

<p>そこで同委員会は、地下水涵養（かんよう＝表層水が地層に浸透し、地下水となること）をうながすルールをつくろうとしている。たとえば、地下水利用者に料金負担を求める際の方程式の案を見ると、</p>

<p>「地下水の単価」×「地下水利用量（取水量−涵養量）」</p>

<p>となっている（このほかに負担能力、地下水影響度に関する係数が加わる）。</p>

<p>安曇野ではさまざまな産業が地下水を使用するため、水涸れや水位低下が問題になり、利用者間で軋轢が生じていた。</p>

<p>しかし、この公式では、涵養量が増えるほど料金負担は低くなる。利用者が積極的に地下水涵養を行えば、地下水利用量が減るため負担金はゼロに近づき、同時に、地下水量の減少に歯止めがかかることになる。言わば、一石二鳥の効果があるわけだ。</p>

<p>ただし地元には、「思い描いたようになるだろうか」という慎重論も根強い。</p>

<p>　<br />
■使用量以上の水を涵養する工場</p>

<p>同じ「水どころ」である熊本にこんな先例がある。</p>

<p>阿蘇外輪の西側から連なる1000平方キロメートルの大地。100万人が暮らす熊本市の上水道のほぼ100％は、ここで育まれた地下水でまかなわれている。</p>

<p>だが、この地の地下水は、梅雨時の雨と水田の灌漑用水がみなもと。減反政策によって、稲作をやめてしまった休耕田や、稲作以外に田んぼを利用する転作田が増えてくると、田んぼから地下に水が浸透しなくなり、地下水は減っていった。</p>

<p>1990年後半、東海大学の市川勉教授が、「熊本市の江津湖の湧水が10年で20％減った」と報告をした。ソニーの半導体工場（ソニーセミコンダクタ株式会社・熊本テクノロジーセンター）が地下水涵養地域に進出することになったのは、そんな時期だった。半導体生産は地下水を大量に使用する。地元の環境団体「環境ネットワークくまもと」は、地下水使用量予測と薬品に対する対策について公開質問状を提出した。</p>

<p>これがきっかけとなってさまざまな方策が検討された結果、ソニーは2003年度から、地元農家や環境NGO、農業団体と協力し、地下水涵養事業をはじめた。</p>

<p>協力農家を探し、稲作を行っていない時期や、畑作と稲作の間の休耕期などに、川から水を引いて田んぼに水を張ってもらうことで、地下に水を還元する。その費用をソニーが負担するというしくみだ。</p>

<p>この周辺は「ざる田」といって水が浸透しやすく、1日で水田の水深が約10センチも下がる。日照りの影響を受けた2005年をのぞき、熊本テクノロジーセンターで使用した以上の水量を、涵養させることができた。最近の東海大学の調査では、地下水涵養を始めてから熊本市内の湧水が増えていることがわかっている。</p>

<p><br />
■農地にとっても大きなメリット</p>

<p>安曇野では転作田を用いた地下水涵養を実施することが検討されている。</p>

<p>小麦などの転作作物の収穫後に、一時的に湛水し地下水涵養する。</p>

<p>小麦であれば、6月の刈取り後に湛水することになる。田んぼに入れる農業用水を一時的に小麦畑にまわすわけだが、ちょうど水稲の中干し期間に当たるため水稲の水不足にはならないし、新たな水利権を得る必要はない。</p>

<p>すでに一部の農家が実施しており、除草や連作障害の対策になっているので、あまり障害なく進むのではないか。仮に安曇野の350ヘクタールの小麦畑に2か月間、水を入れたとすると600万トンの地下水涵養量になる。</p>

<p>さらに大規模な地下水涵養を行うには、冬期の使用していない田んぼに水を張る「ふゆみずたんぼ」が有効だが、活動の広がりには、地下水涵養のメリットが普及啓発されることが大切だろう。</p>

<p>冬の田んぼに水を張ると菌類やイトミミズ、水鳥など多くの生物のすみかとなる。</p>

<p>水鳥の糞はリンを多く含み、養分が豊富で肥沃な土をつくる。稲の切り株やワラなどの有機物は、菌類によって分解され、肥料となる。イトミミズは田んぼの有機物を分解しながら自らのエネルギーとして活動し、泥の表面に糞を出す。菌類と糞が適度に混ざり合った泥の細かな粒子は肥沃なトロトロ層を形成する。</p>

<p>また、蛙の産卵を助けるため、害虫が発生する頃にはカエルが大いに活躍し、農薬を使わずとも害虫を駆除してくれる。</p>

<p>つまり、田んぼに水を貯めることで、生きものの力が借りられるようになり、肥料や農薬を極力抑えた米づくりができるようになるわけだ。</p>

<p>田んぼに水を貯めるメリットは地下水を守るためだけではない。自然で安全な食べものづくりもできるようになる。</p>

<p><br />
文・写真／橋本淳司</p>]]>
        
    </content>
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    <title>地球の視点から見るグリーン・ジャーナリズムに向けて</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://theearthnews.jp/feature/c/#!/contents/1436" />
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    <published>2012-03-27T00:55:26Z</published>
    <updated>2012-03-26T14:01:36Z</updated>

    <summary>VisionaryPeopleに聴く&quot;GreenTV&quot;水野雅弘さん</summary>
    <author>
        <name>ten_all</name>
        
    </author>
    
        <category term="人と社会" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://theearthnews.jp/feature/">
        <![CDATA[<p>── 水野さんは、"GreenTV"で、地球環境をテーマにメディアとして様々なつながりをつくってこられました。"GreenTV"の本社を横浜に移し、3.11以降、ご自身和歌山に拠点を移し、都市・地域の2拠点から他にはない視点から「つながり」をつくっている気がします。まず、どんな経緯から、メディアでの関わりやつながりを創ってきたのでしょうか？</p>

<p><br />
私が、個人的に「自分がつながったな」と感じるのは、精神的に何かを求めてモヤモヤしている状況で何か、誰かに出会った瞬間に「これは偶然ではなく、必然だ」とものすごく感じる時です。それは、一人ではなく、複数の人でも同じで、一緒になって絵が描けた瞬間に「つながった」いう必然性を感じます。＜つなぐ＞という意味での僕の役割は、ずっと"GreenTV"というメディアに関わってきたので、なぜ"GreenTV"を始めたかということから、お話しさせていただきます。</p>

<p>10代の頃から自分の使命は、「人に何かを伝える」ことのような気がしていて、20代はずっと放送作家をやってきました。ただ、放送の世界は、ビジネス・モデルそのものが「広告」によって支えられている。番組の制作に商品のプライスが載っていくわけです。それでまた、お客さんの声を聞かなくても、タレントを使ったり、海外でロケをしたりとか、売れるように作っていく。それによって支えられているメディアでは、ジャーナリズムは成り立つのだろうかと疑問に思いました。そこで、お客さんと企業とを直接「つなげる仕組み」として、アメリカからのコールセンターのシステムを導入し、ITを使ったマーケティングを展開しました。実はもう20数年前です。それから、多くの企業のコンサルティングをしてきました。</p>

<p>しかし、2000年を超えたあたりから、コンプライアンス等でいろんな不祥事が出てきた。企業が、利益に加担し過ぎたことによって、どうしても「魂」や「志」を持たなくなってしまった気がしたのです。法人という一つの生きた存在が、分からなくなってくるのに、それを支援していくこと自体に疑問を感じました。もちろん2000年あたりからＣＳＲという言葉も出来たものの、本当に「社会的責任」への企業の取り組みが見えなくて、単なる「レポーティング」に終始してしまうことが多かったのです。頑張ってる企業は環境商品とか、環境配慮とか懸命に取り組んでいるのですが、一方では、日本人全体が、環境意識がすごく低く、うまく伝わらないのです。</p>

<p>特に、2003～2004年のあたりには、素晴らしい活動をしている日本の企業があるのに、日本から世界に発信する国際報道力がものすごく弱いと感じていました。だから、世界に発信すること、市民が発信することは本当に大切であり、逆に言えば、世界で起きているコトを、正確に伝えなくちゃいけないと感じてました。これは、従来のコマーシャルベースのマスメディアのビジネス・モデルだと出来ないですね。視聴率が取れないし、広告で売れないですから。そこで、新しいチャレンジとして2006年に始めたのが、"GreenTV"です。「市民への普及啓発」という使命感と言うと大げさになりますけれど、やってみようと思ったのです。</p>

<p>これだけグローバル化が進み、情報テクノロジーで世界と常時つながる環境でも、共有出来ないリテラシーの格差があります。格差を埋め、どんなローカルにいても、「地球市民」意識としての情報の共有と発信を続けていきたいと思っていました。その意味で"GreenTV"は、ありきたりかもしれませんが、"Think globally, act locally"を、2006年の立ち上げの時からメッセージしています。今、重要なのは、ＣＮＮ、ディスカバリーなどアメリカの大資本メディアが世界的なネットワークで発進するものだけでなく、スウェーデンの辺鄙な町でどういうサスティナビリティの町が出来たのか。インドのある村で出来たアイデアが、すごく地球を変えていくヒントがあるかもしれないというローカルの可能性です。そうした情報って、なかなか日本で紹介されない。だから、同じ独立的に活動する地域のメディアが、同じミッションをもってつながろうとしたのが"GreenTV"のネットワークです。今、ドイツとイギリスとオーストラリアとわれわれ日本と独自に活動しながら連携しています。</p>

<p>ただし、その連携は、資本の提携ではなくて、コンテンツの提携です。ですから、ドイツやイギリスで制作したコンテンツは、必ずしもその国の"GreenTV"が作ってなくても、ネットワークしているＮＧＯ、政府、市民が作り上げたコンテンツであれば、"GreenTV"共通のプラットフォームとして載せていこうとしています。従来の映像は、テレビと映画しかなかった。その中にブロードバンドという素晴らしい技術で、世界中でインターネットが普及した今、ローカルからの発信を載せるプラットフォームが、最大の価値を持つのではないかと思い、われわれは"GreenTV International"を立ち上げたのです。</p>

<p>現在までに世界で合わせて、制作した作品は約800本以上。われわれが2007年に日本版を立ち上げ、日本のローカルなコンテンツは、オリジナル制作に取り組み、里山や限界集落に撮影に行ったり、森や海の達人に取材したりしています。世界の報道ではまったく紹介されない日本をちゃんと伝えようと、2007年から４年くらいで、250本くらいのオリジナルコンテンツを制作してきています。</p>

<p><br />
── "GreenTV"は、テーマや課題をどのように取り上げて展開してきたいのでしょうか？</p>

<p>最初に"GreenTV"を始めて思ったのは、その地域のＮＰＯが素晴らしいことをしていても、隣や同じ町の住民が知らない。広報として、自分たちがやっていることを、どうやって伝えたら、価値を広く伝えられるのか、それが弱いなと感じました。これは決して日本だけじゃなくて、"グリーンピース、WWF、など、世界中のＮＧＯとしての代表的な所でさえ、伝えることが限られ、自然環境に興味のある方たちだけがいつも集まるという傾向がありました。</p>

<p>地球のさまざまな環境問題、社会問題の解決に「映像」の力で貢献するために、まずは世界中のＮＧＯと協力し、「広報」の視点から取り組んだのです。象牙、トラの毛皮の問題にしても、日本は海の向こうの話が自分たちの暮らしとどうつながっているかに気づいてもらうために、その問題を「映像」を通じて日本人に見せていきたいと思ったのです。日本での活動とインターナショナルの活動が若干違うこともあり、同時に、日本人に伝えたいインターナショナルの使命もあります。それを日本人にとって、正しく理解して欲しいと思ったのです。このとき、一番難しかったのは、なるべく中立的な立場にいるということです。</p>

<p>＜つなげる＞という役割はしながらも、環境に関するその情報が正しいか、自分たちだけでは判断は難しいところがあります。ＮＧＯの人も、ある強い思いがあって、例えば、気候変動・温暖化に対しても賛否両論があり、今の原発問題もそうなのですが、われわれのフィルターだけでは、判断がつかない面もあります。情報の信憑性を確かにしていくためには、やはり「ニュートラル」になり、その上で、有識者とか専門家たちとネットワークをして、つながることを目指しました。海外の有識者、リーダーには、市民の方たちはなかなか触れられないのです。触れられないと、海外が身近でなく、やっぱり他人事になってしまうのですね。ですから、国連のグリーンエコノミーのイニシャティブをとるパヴァン研究リーダーにインタビューしたり、温暖化を伝えるにしても、受け手側が分かりやすく入っていく。正しい情報であるが難しい情報を、いかに分かりやすく翻訳していくか。アートや、ときにはアニメーションを使うほうが効果的な事例は多くあります。ゴミ問題、畜産の問題なんかは、アニメーションの方がグロテスクじゃなくて分かりやすい。だからクリエイティブな部門と、その有識者、専門家の持っている信憑性、これらを掛け合わせて、一緒に作ってきました。</p>

<p>もうひとつの取り組みは、企業の情報です。さっき私は、"GreenTV"立ち上がる前に、さまざまな大企業のＣＳＲのディスクロージャーに関わってきたことをお話しましたが、2000年を超えてから、不祥事が多いなかで、コンプライアンスへの対応は、当たり前のこととして求められるのですが、環境とか社会を前にするとなかなか伝わりにくい。どれだけＣＯ２を削減しましたかという、定量的な数字は出ても、トップが本当にどういうことを考えていて、会社がどう変わろうとしているのか？わかりにくい。最近はずいぶん変わってきましたが、それでもどうしても伝わりにくい。その意味で、企業の技術やＣＳＲ活動を映像化するお手伝いをするようになりました。</p>

<p>また、同時に、"GreenTV"の事業として、政府関係の制作受託も増えてきています。2010年、名古屋で開かれた「生物多様性条約第10回締約国会議」（ＣＯＰ10）のオープニングイベント映像を始め、環境省「里山イニシャティブ」、去年の国際森林年の林野庁のプロモーション映像など、政府省庁関係の映像も、プロデュースさせて頂いています。<br />
さらに、環境教育のシャンルでも、平成21年の時に、環境省に「映像を使った環境教育の重要性」ということを提言し、準優秀に選んでいただきました。映像の持っている力特に"GreenTV"というのは、30分とか1時間ではなくて、３分とか５分とか、なるべく短い映像で事実を伝え、起承転結での「結論」をなるべく言わないようにし、個々人が考えることを促していくことを意図しています。その映像を通じて、「みんなはどうする」とさりげなく問いかけることで、大人も子供ももう同じ次元で考える。そのため、リテラシーが高まっていきます。単に、エコオタクになるのではなく、それぞれの人の中で関心を起こしていく。われわれは、スキルとか知識だけではなくて、行動に移していくための「環境リテラシー」が、まず、大切だと考えたのです。</p>

<p>また、３．１１以降、メディアは全般に、ソーシャルメディアを含めて、多様な情報が毎日のように降ってくる中で、どの情報が正しいと判断していくかが問われています。同時に「メディアリテラシー」への取り組みとして、情報を見抜く力を幼い頃から育てなくちゃいけないと思っています。　　<br />
これらの「環境のリテラシー」と「メディアのリテラシー」に加えて、もうひとつは「コミュニケーションのリテラシー」があります。日本人って、なかなか世界で手を挙げない傾向があります。リーダーシップを執るのが苦手で、どうしても控え目になってしまう。これはいい面もありますが、これからは、世界でリーダーシップを執っていけるようなリテラシーがこどもたちに必要と考え、これら３つのリテラシーを統合させ、映像を使った「グリーンリテラシー」を普及していきたいと思っています。</p>

<p><br />
具体的には、今、環境省に提案しているのは、なるべく子供たちが自分たちの映像を見て、感じた感性を持ったフィルターで、自らの自然や森を撮り、そこから何を伝えたいかを考えていく、という企画です。（この提案は、「第11回NGO/NPO･企業環境提言フォーラム」で、優秀に準ずる提言に選ばれました＝ジアスニュース編集局）そのレスポンスが、世界の子供たちからくることによって、話し合いが広がっていく。これが共有の場と思っています。その共有の場に親が参加し、地域のＮＰＯが参加する。それが、熊野に住む私が＜つなげる、つながる＞ことではないかと思っていますそれは、世界ともつながるし、地域の親が、学校教育だけじゃなくて、家庭教育、また社会教育に広がっていきます。私がとらえている「グリーンリテラシー」と言うのは、教育をきっけとして、地域住民そのもののグリーンリテラシーを高めていく展開なのです。それを熊野でやってみたいと思っています。</p>

<p>実は、私は今、和歌山の「田辺」と「鎌倉」の2重生活をしています。私は、鎌倉生まれではないのですが、日本の歴史、文化と世界に日常から触れられる「鎌倉」にはすごい愛着がありました。しかし、今後、もっと都市集中化し、江戸の時代からすごい人口集中する大都市、東京にさらに集中したらどうなるのだろうとかねがね思っていました。環境の問題は、地球や自然のバランスが崩れ、経済と環境のバランスが崩れ、調和が乱れ始めることに起因します。ですから、地域とつながり、地域に暮らすということが大切になってくると思ったわけです。それで、まず自分の立ち位置を、最も都市から遠い地域に置居てみたのです。そこから日本を見て、同時に世界を見て、何を発信すべきかと実践してみようと思いました。そこで、今まで、一度も行ったこともない、まったく関係もない、和歌山に行って翌日にアパートを探して、家族とともに田辺市に住らしはじめたのです。</p>

<p><br />
── "GreenTV"では、新しいテーマやつながりに向けて、どのように今後、展開させていくのでしょうか？</p>

<p>"GreenTV"では、昨年から「地球を学ぶ市民映像図書館」として展開しています。映像を環境に興味のない方に見ていただきたいと思って、TBSとの共同の番組制作やBS放送での枠など、多くの人に伝えようともしてきましたが、残念ながら、やっぱり視聴者の多くは環境への関心が高い人になってきます。より広く多くの人に伝えようとしていたところ、自治体や学校とか、さまざまな所が映像を貸して欲しいという申し入れが多くなってきました。多くの人たちに利活用し、視聴いただけるならと思い、あえて「地球を学ぶ市民映像図書館」というキャッチで、去年からリニューアルしました。今、カテゴリーは10のチャンネルに分けて、いつでもその映像を見て、みんなでワークショップ出来るような視聴状況に切り替ています。</p>

<p>将来への展開として「クロスメディア」もテーマです。デバイスが年々、激変し、10年前にまだ出来たばかりのiモード、ezwebとか、携帯電話の文化が、10年経たないうちにスマートフォンに変わっていく。この技術的進化によって、情報の受け皿となり、インターフェイスとなる「デバイス」が多様に変りつつあります。デバイスの変化を、パーソナルなメディアの進化系ととらえるのか、従来のマスメディアの融合ととらえるのか、あるいはソーシャルメディアというあたらしいインターフェイスで捉えるのか、いずれにしても、メディアの特性が、デバイス進化で変容するために、デバイスに適応した戦略が何よりも必要と考えています。<br />
さらに、放送だけではなくて、さまざまなプロジェクトも展開させています。</p>

<p>実は、今年は古事記1300年なので、その神話の世界から日本を描き、世界に伝えていきたいと考え、プロジェクトを動かしています。そこで出会ったのが、かって日本にあった素晴らしい、四季を織り込んだ「暦」。月曜から金曜まで学校や仕事に行って、土、日に休む。そういう生活のリズムに慣れてしまって、自然と対話できる素晴らしい日本にいながら、それを肌で感じられる「暦」との対話がなくなってしまった。3.11以降、日本中の人たちが、もう一度、本来ある日本の持っている自然と向き合っていく、共存共生してきたということを取り戻すような「方向転換」に大きな可能性をもたらすチャレンジと考えました。自然を管理するのではなく、むしろ自然と調和をしながら生きていくことに、生活スタイルを大きく転換するために「暦」を再現していく。311以降は、首都圏の直下型大地震など多くの不安の声がありますが、これからとてもよい時代を迎えると私はポジティブにとらえるようにしています。この未来を明るくすることに向かって、様々な環境、社会問題へ、人々の意識が変わる「価値転換」へ、私は、こうした日本の素晴らしさを積極的に伝えるべきだと思います。</p>

<p>また、生物多様性でも、日本の持つ自然資本をもう一度、再発見するために、昨年からすごく力を入れています日本中に眠っている、素晴らしいもので、地域の人たち自身が気づいてないもの。世界遺産は分かっていても、その歴史的背景や、またそれがどれだけの環境価値が高いかを分かっていないというのが実情です。それを伝えるために、最近「手紙」という方法での取り組みがあります。「草木塔」というものです。山形に、200年くらい前、江戸時代の頃から、草木に感謝するという風習を、朗読形式のフィクションで描いたものです。単純に草木塔を通じて、自分たちの自然と共生した「地域」のあり方とともに、自然に感謝してきたの「思い」を伝える手法として感じ取っていただけたらと思うのです。こうした地域に埋もれている日本のすばらしさは、山形だけではなく日本中にたくさんあります。</p>

<p><br />
さらに、"GreenTV"のこれからで大きな展開は、新しい「グリーンメディア」を作っていこうと考えていることです。2015年から、学校の授業に電子教科書が導入されようとしています。紙の教科書から電子に移るときに、日本の教育も大きく変わるのではないでしょうか？　Green TVは多くの映像を持っていますが、この映像を活用して、気軽に自分が関われる、電子ブックの世界で"GreenTV"を制作していこうと考えています。そこでは、地球全体をとらえることで初めて実現できる「ジャーナリズム」です。テレビ、新聞、また雑誌、それらが単体では出来ないことに情報化にチャンレンジしていきたいのです。そこでは、東北の冬水田んぼも出てくるし、もしかしたら、みんなが心配している関東の地震や、和歌山の東南海の地震かもしれないそれが「地球」という視点から見たときに、どう捉えたれるのか。1300年を迎える古事記においても、万葉集においても、そうした日本人の持っているものが、「グリーン・ジャーナリズム」から見た時に、どのようなメディアとしてそれを伝えていけるか、その可能性にチャレンジしていこうと思っています。</p>

<p><br />
最後に、ローカルなグリーンエコノミーへの貢献です。その展開は、地域にはたくさんあります。グリーンというシステム見たときにいろいろなエコノミーの特徴が現れます。和歌山ですと、白浜の空港の跡地に太陽光発電のプロジェクトとしての「メガソーラープロジェクト」の検討が進んでいます。また、お魚も野菜もおいしく、自然の恵みが素晴らしいのでエコツーリズムの推進。ユネスコスクールは一つしかないのですが、持続可能な教育（ＥＳＤ）そのものも活用できます。それを使い、町全体がグリーンリテラシーを高めていく。そこで新たな観光資源を活かした産業もそうでしょうし、さまざまなローカルなグリーンエコノミーが展開していけます。また、地域には、どうしても雇用を作る必要があります。</p>

<p>人が増えれば、その人の増加が、また多くの仕事を誘引していきます。パン屋が出来れば、小麦の生産農家も出て来るというわけです。東京では、都市人口が増えると同時に、うつ病になる人が100万人はいると言われています。クラウドの技術により、なるべく東京を分散してＩＴ関連の雇用を呼び込むことも可能と思います。新しいワークスタイルに関しては、2000年あたりから、総務省といっしょにSOHOやテレワークということを推進してきましたが、自然に囲まれた和歌山で、人間らしい暮らしが出来ることで、今までにない都市と地域をつないでのローカルなエコノミーへの循環も出来ると考えています。システムエンジニアの方たちが、緑が豊かで、潮風を浴びて仕事を出来る場所として、和歌山にも多くの雇用を作っていきたいと思っています。</p>

<p><br />
聞き手・文／森一彦（ジアスニュース）</p>

<p><br />
【プロフィール】<br />
水野雅弘（みずのまさひろ）<br />
株式会社ＴＲＥＥ　代表取締役社長兼ファウンダー。マーケティングコンサルタント及びプロデューサー。<br />
一般社団法人　CEPAジャパン　理事</p>

<p>CRMコンサルティング、ＷＥＢ戦略やディスクロージャーのCSR戦略コンサルティングを行うとともに、2006年よりイギリスを本部とする環境グローバル映像メディア「Green TV 」の日本代表を務める。<br />
2010年名古屋市で開催されたCOP10/MOP5の日本政府国内周知映像、開会式映像の総合製作プロデューサー。企業コンサルティングのノウハウと環境普及啓発におけるメディア事業の経験を統合し、持続可能な社会を目指す使命のもとで、テレフォニーとGreen TVを合併し、2011年新会社　　"株式会社TREE"を設立。　横浜に本社を置き、鎌倉と和歌山に居住。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>人と人をつなぐ秘訣は、人にちょっと貢献してみること。</title>
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    <id>tag:theearthnews.jp,2012:/feature//6.1435</id>

    <published>2012-03-26T13:42:02Z</published>
    <updated>2012-03-27T14:25:30Z</updated>

    <summary>VisionaryPeopleに聴く&quot;エコブランド&quot;東大史さん</summary>
    <author>
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    </author>
    
        <category term="人と社会" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://theearthnews.jp/feature/">
        <![CDATA[<p>私は学生時代、バックパッカーとして、アジアやアメリカ、ヨーロッパを放浪するのが好きでした。1990年代の終わり頃の東南アジアには、まだまだ内戦によって自然環境が破壊された傷跡が非常に多く残っていました。例えば、べトナムでは当時まだ戦車が街中に残っていて、その周りで子どもたちが遊んでいました。ここの人たちに何か出来ないかなと、若い頃は思いました。日本がODAなどの援助活動をしたり、若い人が現地のNGOに飛び込んだり、青年海外協力隊になって直接支援する方法もありますが、私が目指したかったのは、日本という国を、これから発展しようとしている国々の持続可能なお手本になれるような国にしていくことでした。</p>

<p>そこで「株式会社エコブランド」を立ち上げ、日本を環境立国として世界のお手本にするというビジョンを掲げました。日本が江戸時代など、古くから積み重ねてきた知恵や技術を、現代に再定義していくことによって、世界の持続可能な発展に対して影響力を発揮することが出来るような、そういった世界と日本をつないでいく役割になれたらいいなと、この会社をやっています。<br />
とは言え、僕自身が知恵とか技術を持っているわけではないので、仕掛けを作ることによってムーブメントをおこし、関心を持つ人たちを増やしていくのが一つのやり方だと思っています。</p>

<p><br />
■山の中で『eco婚』、棚田でセグウェイ、かき氷機『武蔵』......。違和感のあるものを結びつけ、人をつないで仕組みをつくる。</p>

<p>環境の分野というのは、みなさん関心は持っているけれど、情報の発信に関しては「やらなければいけない」といった、かなりとっつき辛い表現が多いのですが、もっと楽しいとか面白いとか、半ばちょっと軽い気持ちで入れるようにしたい。そこで、2008年頃ブームになっていた婚活と組み合わせて始めたのが"eco婚"(エコ婚)です。まず、感度の良い女性をターゲットにして、彼女たちを動かし、そこに男性がついてくるような仕組みを作ろうと考えました。今は情報があふれているので、一見して違和感がある、一度では理解出来ないようなもの同士をつなぎ合わせるほうが、人の記憶の中に引っかかるようです。</p>

<p>2010年までは、山梨県を中心に山の中で合コンをして、地域づくり活動をしました。遊休地にキッチンスタジアムをつくり、地元の料理を出して若者に集まってもらう、フェスティバルのようなイベントを開いて、各種のメディアに取り上げられました。"eco婚"は、かなりいろんな人に印象的に受け入れられました。最初は男性も女性も東京から連れてきましたが、それを繰り返すうちに、地元の方々が、毎月のように若者が来ることに関心を持ち始めると、今度は地元の人たちも巻き込めるようになりました。そこで、女性だけを東京から連れてくるようにしたら、地元の男性は、話すのはあまり得意ではないけれど、森の中で木を切らせたらかなりかっこいいと、二人ぐらい移住して結婚しました。<br />
そうした森に特化したイベントをずっとやっていたら、山梨でワインツーリズムをやっている人たちや、最近流行している山登りの方々ともつながりが出来て、活動の幅が広がってきています。<br />
また、プロの農家の集まりであるＮＰＯ法人元気村の方たちから、販売のマーケティングを手伝ってくれないかとか、商店街を活性化したいといった話が舞い込んできました。一点突破でその地域に入りこんで行って、少しずつ波紋を広げて、一つ一つのネタをとっていくっていうような活動をしてきました。</p>

<p><br />
そして、2011年から岡山県美作市に移住しました。棚田が広がる典型的な中山間地域で、海もあるし山もある。自然災害も少なくて水が豊富という恵まれた所で、ここなら自分がやりたかったことが実現できそうだと思いました。その地域には、大阪を中心とした英田上山棚田団の人たちが、5年ほど活動していまして、毎週のように野焼きをして、気がついたら全国1位の耕作放棄地を再生しているエリアになってしまった。<br />
その様子が『愛だ！上山棚田の限界集落なんて言わせない！』という本になっています。この人たちの実績があって、僕はそこに乗っかる形で、次の展開を構築しているところです。</p>

<p>実は、ビジネスの観点から言うと、困りごとがたくさんあるというのはチャンスなのです。岡山県美作市というのは、ご多聞に漏れず、耕作放棄地がいっぱいあります。山林も荒廃しています。空き家も増えています。野生鳥獣の被害が増えています。過疎高齢化が進んでいます。エネルギーの問題というのも、何か気になってきます。というようなことが、どんどんどんどん地元の人たちからも入ってくるようになったのです。だったらそれを事業化して、いろいろな組織を立ち上げていくのが、人口減少社会においては、面白いのじゃないかなあと、今そういった組織作りをすすめているところです。</p>

<p>一つの課題を解決するような事業では、大資本には絶対勝てませんが、二つの要素を組み合わせることで、独自性が生まれると思っています。例えば、これだけ棚田再生をやっているわけですから、棚田のどこに水路があるかは全部分かるのです。だからそこで小水力発電をやれば、自然エネルギーの問題が解決できる。そこにエネルギー事業を組み合わせるのも面白い。それから、林業も、単体ではなかなか儲からないけれど、地域通貨を組み合わせてみたら、山から運び出してきた木材を地元の商店だけで使えるようなお金で支払うことによって、地元の地域経済が潤って、山も綺麗にすることが出来るのじゃないかなあとか。他にも、農業と障害者雇用を組み合わせれば、社会的弱者と言われる、住む場所と働く場所が近接していることが望ましい人たちを受け入れながら、農業の担い手を徐々に増やしていくような仕掛けが出来るのではないか、と。そういった観点で事業を作っています。</p>

<p>また、「上山棚田大学」と銘打って、棚田再生に必要なスキルを若者に現場で学んでもらうようなカリキュラムを作って、若者がどんどん田舎に入って行きたいと思ったときに、そのスキルが学べるようなプラットフォームを用意しています。これは内閣府にも認められまして、地域雇用創造事業の中でやっています。</p>

<p>森作りと地域通貨の例をお話ししましょう。これは元々、高知県の「土佐の森救援隊」がやっていたのですが、森の中に架線、軽架線を張って、どんどんどんどん木材を引っ張り出してくるのです。これは軽トラとか農家さんが普通に持っている装備、プラスアルファで出来てしまう林業なのですね。今の林業は、高性能の林業機械を買って、道をバンバン付けてっていう、かなり大規模なものが中心なのですが、それだとやっぱり人が増えないのです。担い手を増やすためには、まずこういった形の草の根の活動を広めることが大切です。こうして運び出した木材を、例えば公共施設の薪ボイラーなどに利用していきながら、それを地域通貨で買うことによって、地元の経済に貢献しようというようなことをやっています。</p>

<p>また、美作市には、なでしこリーグに所属している「湯郷ベル」というチームがあるので、やはりブームに乗って、なでしこの花を乾燥させてスイーツをつくったり、「湯郷ベル」のファンクラブのグッズとして、ちょっとおみやげに買っていただいたり、なでしこの花で地域経済に貢献しようと考えています。乾燥花を作るという工程は、地元のおじいちゃん、おばあちゃんが、副業で出来るので、空いているハウスで花を育て、それを機械で乾燥させるっていうプロセスにすれば雇用が生まれます。高齢者の方にも稼いでいただきたいので、ＩＴ の仕組みなどを教えながら、バンバンそれを広めていって雇用を創出したいなと、今仕掛けているところです。</p>

<p>要するに、やはり楽しくないと継続しないなあというのが、根底にキーワードとしてありします。僕らは、どっちかというと、ああだこうだ考えるより、まずやっちゃおうというようなところがありまして、それは本当に楽しくって面白いからモチベーションが生まれる。それで、ノリでやってしまうというのがあります。</p>

<p>例えば、小水力発電もやっていますが、小水力はどの地域でもみんな興味を持って「やろう」と盛り上がっていますが、当たり前に僕らも追っかけて行くだけなら全然面白くないねという話になりました。<br />
そこで、セグウェイを走らせるという要素を加えることによって、実は田舎のボトルネックになっているガソリンに依存した移動手段から、脱却するきっかけになるのではないかと考えています。セグウェイは、今棚田の水路を中心に走らせています。実は里山には、水路の横に、水路をメンテナンスするための２メートルほどの通路が張り巡らされているのです。棚田というのは、実際見たら、美しくて、この場所を守りたいとみんな思うのですが、それを維持するために水路が非常に重要なのです。これを5キロ6キロと張り巡らせて、上の溜池から水を引っ張ってくるという過程が、初めて見る人にはなかなか理解出来ない。</p>

<p>でも、こういうふうにセグウェイに乗りながら、ずっと巡ることによって、実は棚田を守るためには、里山を守る必要があるのだよということがよくわかります。あるいは、この水路をメンテナンスすることは重労働なのですが、そこに経済性が生まれることによって、やっぱり、頑張って守っていたらセグウェイが走るから、そこで地元にお金が落ちるね、というような形に出来るかなあと考えてやっています。セグウェイは、オフロード版のものをセグウェイジャパンとタイアップして、完全にメンテナンスをお願い出来る状況になっています。今は円高なので、セグウェイ一台あたり８０万ぐらいで買えるのですが、例えば一回5000円で運行すれば１年でペイ出来るので、それほど経済的な負担を考えずに乗り回しています。軽トラで入っていくような所に、こういう静かな軽いもので入っていくので轍も残らないですし、森への影響はむしろないですね。<br />
ある意味、非常にフレンドリーな乗り物だと思います。</p>

<p>一般に、林業というのは実際やるとかなりきついのですが、そこにちょっと遊びの要素を加えて、例えば、ロープを整備した森の中に張って行って、そこでツリーイングみたいなイベントをしたり、子どもたちを呼んで遊べるような空間作りが出来たら、これもまた面白いじゃないかなと。要するに、自分たちの森づくりを進めていったり、あくまで自分たちが楽しみたいからやる、というモチベーションを重要視しています。このツリーリングは、棚田の上にある森が舞台なので、すごい景色がいいのです。</p>

<p>ですから、一回来てもらって、セグウェイに乗ってもらったり、そういう体験をした人に対して、次はこういう体験が出来ますよという形で、何度でも来てもらえるようなアクティビティのコンテンツを用意することによって、単なる観光ではなくて、ファンにしていくような仕掛けづくりを心掛けています。<br />
木に登ると、四季折々の風景がどんどん見えてきますし、そこで森に親しんで、次にこういった登る技術を使って、里山整備に入って行けるきっかけ作りにもなる。以前、水谷孝次さんという有名なディレクターの方に来ていただいて、メリーの傘を広げるという活動をやったのですけど、すると、結構有名な方がいらっしゃって、何かやりたいのだけど、みたいな話が舞い込んで来たりとか、結構ダイナミックに動いている現場になっています。</p>

<p>他にも、僕が個人的に仕掛けているのが、実は、かき氷なのです。普通、かき氷と言うと、みんなでゴリゴリ削りますが、もうちょっと、子どもでも作れる柔らかな素材で、手軽に出来ないかと考えていたら、イギリスのデザイナーが乗ってくれて、今開発しているところです。どうしてかき氷かと言うと、美作も岡山県なので、ご多分にもれずフルーツがたくさんあるのです。ただ、そのうちの4割が規格外のものになってしまっているので、6割しか出荷できない。そこで、売れない4割のフルーツを、ある程度売れる形に出来ないかなと考えて、シロップを作ることを提案しました。</p>

<p>この地域は、他にも、黒豆が結構有名なのですけど、このきな粉が、すごくおいしいんです。ただそれが、丹波の黒豆とかにブランド力で劣るので、負けてしまっている。また、海田には茶畑があるので、抹茶も採れます。湯郷でガラスを作っています。というので、地域資源の組み合わせを一番訴求出来るものを考えたら、かき氷だったのです。それに、実は、美作市は宮本武蔵が生まれた場所なのです。ふわふわのかき氷を作るためには、刃が二枚必要なので、宮本武蔵の二刀流と、この二枚刃をかけ合わせて、「武蔵」という名前のかき氷機を作ろうと、今、仕込んでいるところです。</p>

<p>要するに、別にかき氷機を売りたいわけではなくて、地元の果物農家さんと一緒にシロップを開発して、どこかに売ってもらって、まずそこで、お金を回すことから始めるのが仕事だなと思っています。だから、まず困っていることを解決してあげるようなお手伝いをするというのが近いですね。そういった形で、日々楽しみながら事業をやっています。</p>

<p><br />
人と人をつなぐ秘訣は、人にちょっと貢献してみること。その人がやりたいことを聞き出して、こういう感じで出来るじゃない、とコーディネートしてあげたりとか、会いたい人に会わせてあげたり。<br />
それが積み重なると、逆に自分が何か頼んだ時に、快く引き受けてくれる関係性が出来ています。</p>

<p>また、ブームに乗っかると一時的なもので終わってしまうという危機意識は、常日頃から持っています。それを継続的な活動にしていくためには、やっぱりお金を回すことが大切です。単に楽しいからやっているというのも必要ですが、そこでちゃんと、目標としては年間250万から500万ぐらいの売上になるような事業設計を、どんどんどんどん組み立てる。それをいくつも作っていくことによって、地域で暮らしていけるだけのお金を作るというようなところを今やっているところです。</p>

<p>また、ターゲットとする都市順位で言うと、物理的な距離を一番重要視しています。美作市あたりとか岡山市内とか、中国道で２時間の距離の近畿圏を中心に、どんどん人を呼んでくる。その町作りをやっているＮＰＯとつながったり、イベントを一緒にやらせていただいて、こんなことやってるんですって説明させていただく機会を持つなど、コラボレーションしています。最近はソーシャルメディアでもつながることが多くなってきたので、そういう活動を通じて、僕らはこんなことを新しく、あるいは継続的にやっています、と発信すると、どんどんつながって行きますね。</p>

<p>地元の人との関係については、僕らも日々直面しているところです。結構派手な活動をするので賛否両論、波風が立つのですよね。まあ立たせようとしてやっているのですけど。そういったときに、僕らは地元に対して、最低辺の仕事を、まずきっちりやろうと考えていますね。だから草刈りなども、地元の方々がみすぼらしいと思わない範囲で、ちゃんときっちりやったり、ドブさらいの仕事も、都会の人間を集めて２０人ぐらいで一気にやってしまったり。重箱の隅をつつかれないために、まず重箱の隅を掃除するみたいな、そういった形でやると、なかなか表立って文句は言えなくなる。地元の有力が、逆に僕らの味方をしてくれるようになりました。</p>

<p>一般に、地域が抱える課題には、普遍的なものと、その地域独自のものという二種類があります。普遍的な課題については、共有して解決をした方が早いケースのほうが多いのです。例えば、耕作放棄地の再生も、１年目にこれを植えて、２年目にこうなるから、３年目からは耕作可能、稲が作れるよ。農水省からこういう補助金があって、そこでお金が回していけるから、ここに若い人が入っていっても、その土地で食べていけるよ、など、ノウハウというかマニュアルを、全部共有、共通化出来るプラットフォームを用意しています。</p>

<p>また、僕らは、森の現場がいくらでも用意出来るので、これからは、森の幼稚園とか環境教育みたいなことをやりたいですね。岡山なので、ベネッセさんとかにかなり現場に入ってきていただいて、何か出来るのではないかと話をしています。地元の高校や、中学校小学校に、出張授業なども何回もやっています。そういったつながりから、子どもたちに現場に飛び出てもらう。そこには、保護者の方の理解であるとか、安全性の確保であるとか、いろいろ課題はあるのですけども、それらを徐々に徐々にクリアーしていきながら、やっていけたらいいなと思っています。</p>

<p>担い手になりたいという人は結構いっぱいいて。特に若い人っていうのは、かなり僕らに関心を持って飛び込んできてくれる人が多いのですけれど、それがやっぱり家庭を持つ身であるとか、子どもに教育を受けさせたいなどという現実的な課題があって、どうしても現実的な選択をせざるを得ない状況があります。そこをコストと見るのではなくて、何かそこも含めて、自分たちのつながりの中で解決していけないかなあというのが、今、考えていることです。僕はまだ独身ですけれど、結婚して子どもが出来たら、そういう子育ての問題提起も出来ます。このように、教育の話はずっとやりたいと考えています。</p>

<p>来年ぐらいからＮＰＯがそういった幼稚園とか保育園事業に参入出来るっていうタイミングが出てきたので、だったら自分たちの仲間でそういったことをやりたい人を巻き込んで、現場にその幼稚園を作って、僕らの子どもたちを預けるって形になれば、地域で問題が完結するみたいなのがいいなあ、と。常々課題はあるけれど、意欲を持って、一緒につながっていけるところで、アンテナを立てることがまずは大事だと思います。</p>

<p>　最後に、実は、情報発信が追いついていなかったのですが、3月にウェブサイトが出来るので、そこで僕らの活動が深く見られるようになります。田舎から情報発信をする場合、地域資源に特化するのは、他の田舎と競合になってくるので、僕は、あんまり戦いたくはないなと思っています。それよりも、そこにこんな面白い奴らがいるのだというところを人軸紹介していけるような、そういうホームページにしようと思っています。例えばこの人に会いたいのだったらここに来いっていうような形の紹介をどんどんしていきたいですね。その人がたまたま東京に来る、大阪に来るっていったら、そこで100人が集まるみたいな、そういうリアルな場作りをいくつも作っていきたい。</p>

<p>普段は距離感があって、活動をなかなか見られないのだけど、またあいつ変なことやっているな、とずっとウォッチしていて、例えば、僕が東京に行ったら、場作りをしていただいて、そこでちょっと何かこういうことをやりたいのだけどっていうことを投げかけて、みなさんからフィードバックをいただくみたいな、そういった組み合わせを今後は仕込んでいくところです。</p>

<p>僕たちの活動は、結構派手で楽しそうに見えるかもしれませんが、普段は畑を耕して、森で木を切って、危険と隣り合わせの、すごく地味で地道な活動です。地元の方の理解を得られて、こういう好き勝手なことをやらせていただける環境が出来ています。そこを一足飛びに、何か出来るのだということではなくて、やっぱりある程度、時間がかかるものだということをご理解いただいて、何か出来ないかという話があったら、相談していただけたら実現に向けて努力しますので、よろしくお願いいたします。</p>

<p><br />
聞き手・文／森一彦（ジアスニュース）</p>

<p><br />
【プロフィール】<br />
東大史（あずま たいし）<br />
株式会社エコブランド　代表取締役社長 <br />
日本を世界に先立つ環境立国にすべく立ち上がったエコブランド。林業体験と合コンを合体させた　「ecoコン」、林道のモビリティとしてセグウェイを取り入れる「棚田deセグウェイ」など、周囲を巻き込む力のあるクリエイティビティあふれた実践の人。</p>

<p>東京大学大学院修士課程において、環境と経済性に関する研究を修めた後、大手食品メーカーの研究員として商品開発や安全性に関する研究に携わる。その後、ITベンチャーにおいて新規事業立案に係わり、東証マザーズ上場後に独立、2008年に株式 会社エコブランドを設立する。主に企業の環境事業計画の立案に関するコンサルティングをビジネスとする一方で、主に中山間地（さと）を持続可能（まる）にする活動を実施する「さ とまるLLP（有限責任事業組合）を組織して進めている。2011年からは実際に岡山県美作市に移住して、棚田再生や里山保全などの現場作業を行ない、自ら中山間地の保全に携わっている。</p>]]>
        
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    <title>間伐材活用で2つの森と水源を守る</title>
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    <published>2012-03-24T13:47:00Z</published>
    <updated>2012-03-24T13:51:41Z</updated>

    <summary>水の流れに注目し持続可能なコミュニティーを復活させる（7）</summary>
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        <![CDATA[<p>●日本の森と水源がピンチに</p>

<p>2012年2月下旬、東京都三鷹市で「TOKYO WOOD FORUM」が開催された。「作る人」、「売る人」、「使う人」、「伝える人」が主体的に集まり、多摩産材の新しいプレミアムブランド『TOKYO WOOD』を構想し、実現していく動き生み出すセッション。実際に多摩で林業に携わる人、ふだんは林業とは関係のない仕事をする人や大学生など、約50名が集い、多摩産材の有効活用を考えはじめた。</p>

<p>これには2つの森と水源を守るという意味がある。</p>

<p><br />
現在、日本人が1年間に使う木材の容積は、約1億立方メートルだが、そのうちの8割を外国産に頼っている。</p>

<p>1964年の木材輸入自由化以降、価格の安い外国産材が市場にあふれ、生産コストや人件費がかかる国産材の需要は急速に減少した。需要と供給のバランスが崩れたために、国産のスギ、ヒノキ、マツなどの価格は、50年前の半分程度に落ち込み、間伐など森林管理を行うと経営が成り立たなくなった。間伐されるのは補助金分だけで、放置され、荒廃する森が増えている。</p>

<p>そして荒廃した森の土壌からは、保水力が失われる。日本の森と私たちの水源は、いつのまにかピンチに陥っていたわけだ。</p>

<p><br />
日本人の生活には木が欠かせない。多くの人は木の家に住み、木製の調度品を使用しているだろう。</p>

<p>だが、日本の木材自給率は2割程度しかない。ということは、あなたの家にある机、テーブル、本棚などは、ほとんどが輸入された木材でつくられたものかもしれない。</p>

<p>実際、日本は世界各国が輸出する丸太の半分近くを買っている。そのため海外では日本向けに森が乱伐されるケースもある。マレーシア、インドネシア、ロシアなどの、いくつかの場所では、伐採後に土が剥き出しになったままだ。</p>

<p>私たちは外国産の木を使った家に住み、木材製品を使うことで、知らないうちに海外での森林破壊に関与してしまった可能性が高い。</p>

<p><br />
●身近な木材を使うことの大切さ</p>

<p>だが一人ひとりの意識がちょっと変われば、2つの森と自らの水源を守ることができそうだ。</p>

<p>「TOKYO WOOD FORUM」でも、「多摩産材を使うと森が育つ」ことが繰り返し確認された。</p>

<p>東京の消費者が多摩産材を使うと、収益が森に還り、間伐などの手入れをしたり、間伐した木材を加工することが仕事として成り立つ。</p>

<p>すると結果的に荒廃した森が蘇っていく。健全に管理された森は水を育む。東京の水源である奥多摩が守られることになる。多くの人を悩ませる花粉も今ほど大量に飛ばすことはない。さらに輸送にかかるエネルギーをへらせるというメリットもある。</p>

<p><br />
間伐材をつかう動きは各地で進みつつある。</p>

<p>静岡県富士宮市のNPO法人森の蘇りは、間伐材の有効活用を考えている。皮むき間伐という手法を用いて、「どの木を残したらこの森がよくなるだろうか。そのためにどの木を間伐したらいいのだろうか」を慎重に考え、一定面積にふさわしい木の断面積を計算し、その後、生育具合、枝のぶつかり方、間伐後の風の通り方や日照などを話し合って、間伐する木を決める。</p>

<p>切り出した間伐材は使ってこそ活きる。「森の蘇り」は間伐材を「きらめ樹」と名付け、床材、壁材などに加工し、販売している。</p>

<p>最近では、細い間伐材を活用した、「きらめ樹卒塔婆」をつくりはじめた。お墓参りに行ったら墓石の後ろに立つ卒塔婆を見て欲しい。おそらく1つとしてフシのない、きれいな木ではないか。一般的にフシのないきれいな卒塔婆は外国産材。30センチ角くらいの原木から機械で製材される。</p>

<p>「森の蘇り」では、直径20センチほどの檜の間伐材から薄い板をつくり、ジグソー（電動のこぎり）で整形する。</p>

<p>この卒塔婆を使い始めた寺の住職は、<br />
「これを使うことによって、厄介者の間伐材が生きることになり、ひいては日本の森を蘇らせるお手伝いができる」<br />
と喜んでいる。</p>

<p><br />
工夫次第でさまざまな活用法のある間伐材。それを流域に住む人で支えていくしくみができれば、持続可能な流域ができる。木は、きちんと循環させることさえできれば、絶えることのない資源。あらゆる資源が不足している日本だが、木に関しては、世界に誇れるほどの備蓄量がある。この資源を守りながら活用することで、2つの森と自らの水源を守ることができる。</p>

<p><br />
文・写真／橋本淳司</p>]]>
        
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    <title>【エジプト革命 vol.2】１年後を巡るせめぎ合い</title>
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    <published>2012-03-24T13:23:32Z</published>
    <updated>2012-03-24T13:30:32Z</updated>

    <summary>例えば2012年3月11日をどう過ごすべきか、長い時間をかけて、あるいは一瞬でも...</summary>
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    <category term="革命" label="革命" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://theearthnews.jp/feature/">
        <![CDATA[<p>例えば2012年3月11日をどう過ごすべきか、長い時間をかけて、あるいは一瞬でも考えた人達がきっと日本に大勢いたように、2012年に入ったカイロの街は、革命が始まった2011年1月25日の一年後をどの様な日にするかを考えていた。それはいくつかの文脈の鬩ぎあいでもあった。 一時的に政権を掌握している軍は1月25日を革命記念日とし、国民の休日と定めて、自分たちが市民の側に立った功績を強調しようとした。ムスリム同胞団は、タハリール広場での祝福行事の準備を進めていた。一方で、革命家と呼ばれる若者達は、今年の1月25日から「第二の革命」を始めるべく準備を進めていた。</p>

<p><br />
若い革命家の一人として紹介されたアハメッド・サラムは、数日後に迫った1月25日に向けた各地の団体との調整で 、殆ど寝ていないのだと言った。「僕は革命の方向を修正したい。僕や僕の仲間が望んでいるのは、この国の全ての人達がいい暮らしが出来るチャンスを作ることだ。まだまだなんだ。」MBAを持ち、昼間は多国籍企業で働くが、夜と週末の時間は３年前からずっと革命の準備に宛ててきた。「エジプトの人々がどうして貧困から抜け出せないのかが疑問だった。本が好きだからありとあらゆる文献を読んだよ。他の国と比較して経済指標の分析もした。そのうちに、問題は国のマネジメントと、人々の考え方だと分かってきた。革命が必要だってこともね。ユーゴスラビア、インド、チリ、南アフリカ・・・世界中の参考になりそうな事例を勉強した。そして世界の事例の何が応用出来るのか考えるために、エジプトの歴史を詳しく勉強し直して、国内外を旅して回ったよ。 」2009年、彼は、仲間たちと方法を論じ、新しいリーダーになれそうな人物、エルバラダイを担ぎ出すfacebookグループを作った。昨年の革命で戦って逮捕された。釈放されてからは、貧困層のためのマイクロファイナンスプログラムに取り組み、そして今はエジプト各地の若者達と連携をとりながら、第二の革命を準備している。革命は自分のライフスタイルだという。</p>

<p><br />
当日の計画は秘密。軍や警察を出し抜かないといけないから。「全国でいろいろイベントを計画はしているけど、ポイントは平和的であること、それを保ちつづけること。」 革命を続けようとする若者達と、一時的に政権を掌握している軍はこの一年間で何度も衝突し、犠牲者が出ていた。柔らかい彼の声を聞きながら思わず緊張してしまう。</p>

<p>1月23日。独裁政権が倒れて以来はじめて議会が開催され、門の前にはデモ隊が集まった。「市民は見ている、ちゃんとやれよ」そんなプレッシャーの意味合いが強い。その中で多くの人がつけている一枚のステッカーが目立った。「1月25日、私は"道"に戻ります。革命はまだ終わっていないから。そして、失われた人々の命は、安い物ではないのだから。」</p>

<p><br />
ステッカーを配っている団体を探しあてると、アハメッド・コラシという男性に出会った。「まだ色んな若者団体と調整中だけど、1月25日、カイロでは人々が広場に向かって歩くことになると思う。実はムスリム同胞団と意見が食い違ってしまってね。ムスリム同胞団はこの一年で達成したことを振り返り、来年から自分たちが政権をとるから任せておけと言いたい。だから広場を祝福ムードで盛り上げる計画。でも僕らは、革命はまだ全然終わっていないと思っているからさ。当日は、これまで命を落とした人達の遺影を持って歩くよ。きっと大きな行進になると思う。」　　　</p>

<p>1月24日深夜、タハリール広場に様子を見にいくと、既に広場の2割程度は人で埋まっていた。更に集まってくる人、人、人。でも、これから何が起きようとしているのか、何が起きてしまうのか、分からない。</p>

<p><br />
広場から戻る道の途中、思いもかけずハリードとクレシーダに会った。1年前に知り合ったとき、2人は恋人だった。ハリウッドで俳優として活躍していたハリードは革命以来エジプトに戻ったきりだ。市民メディアを育てる活動を立ち上げ、自分自身も、撮影・編集・監督までこなす。革命について海外メディアに寄稿したりもしていて、私も彼の記事を読んだことがあった。イギリス人のクレシーダはそんな彼と結婚し、エジプトでドキュメンタリーを撮っている。相変わらず走り回っている姿を議会前のデモで見かけたばかりだった。</p>

<p>それぞれに寝る間もないくらい忙しそうなのに、今宵、腕を組んで歩く2人は、なぜか、とっても穏やかな顔をしていた。やるべきことはやり、あとは流れを待つような、その合間の時間を愛おしむような、そんな表情だった。「準備もしたけど、大事なのはこれから起きることに対して人々がどう反応するかなんだ。」別れ際、ハリードが「明日からの運を祈っていて！」と、指を絡めてみせた。</p>

<p><br />
道へ、広場へ。革命後の未来に悲観的な人も、楽観的な人も、ムスリム同胞団を支持する人も、しない人も、とにかくもう一度外に出ようという流れがそこにはあった。戦略的な流れも、迷いの中に動かずには入れない人も、流れを待つ人も。祝福も、追悼も、牽制も、そして第二の革命というエネルギーも。全ての色をパレットの上に乗せて、2年目が始まろうとしていた。</p>

<p><br />
文・写真／寺井暁子</p>]]>
        
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